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2008年07月19日

[精神面]何も差し出さずに物事を獲得すると考えるな

2008年07月19日 15:36 | 手法(精神面) , ダイエット手法

少々難しいお話を。世の中に満ち溢れている自己啓発的な考え方やその他教訓、例えばなしの多くには、中でもどちらかというと東洋的なものの考え方というよりは西洋のそれにおいては、「何かを差し出さないと欲しているものを得られない」という概念がある。簡単に例えるのなら、「テストで良い点数を採りたいと思ったら、遊びの時間を割いて辛い勉強をし続け、対策をしなければならない」「有名店の先着三十名のみの特別な割安バッグを手に入れたければお金を用意するのはもちろん、開店よりも早くその店に行って並ばねば(つまり時間を浪費しなければ)ならない」という感じだろうか。

何にも提供せずに対価のみを得ようとするのはムシの良い話だ。お店で「お金を払わないけど商品もらっていくね」と言っているようなもの。これは何も相手がいる場合に限ったことではない。何もせずに、何も労苦を重ねずに何でも得られる世の中になったとしたら、人間はそれ以上発展しないどころか退化してしまうだろうし、ただ生きているだけの虚しい一生を送るに違いない。それこそどこぞの映画にあったが、何かの殻に入れられて「すべての願いが何でもすぐにかなう」という世界の夢を見せられてただ単に一生を過ごしている家畜と変わりない。

ダイエットにしても同じこと。これまで何度か失敗してきた人なら記憶に残っているだろうが、どんな手法にしてもそれなりに辛い思いをさせられたり、これまでの生活からの変化を余儀なくされたり、身銭を切らされたりと、自分のこれまでの生活から「何かを差し出す」ことを余儀なくされたはずだ。

ダイエットに失敗した場合、手法そのものが間違っていたのを除けば、「何かを差し出す」のがイヤになったのか、我慢できなくなったのかそのどちらでしかない(「手法が間違っていない」として何か高級な商品などを用いた場合、金銭的な理由もあるだろうが)。

例えば「ジュースを飲むのを止める」という手法を用いたとする。この場合は「美味しいジュースを飲んで満足感を得る」という快楽を差し出すことで、やせる、健康的な体重に移行するという結果を得ようと考えていることになる。途中で断念し、ジュースに手を出してしまった場合、「ジュースを飲むのを止める」痛みに我慢ができなくなったということになる。

この考え方、すなわち「何かを差し出さないと欲しているものを得られない」という概念には面白い続きがある。実はほとんどの場合、「何かを差し出すことで代わりに欲しているものを得られた時、差し出したものは大した価値が無くなっている」のである。

別項目で説明している「食欲第一という考え方を改め、別の事柄への興味を持ち、ダイエットを妨げる要因となっている旺盛な食生活への欲望をスライドさせ避けさせる」とも共通しているのだが、何かを達成し得た時には、その達成のために差し出した自分の痛みというのは大したものではなくなっている。上の例でいえば、「ジュースを飲まないことで体重の減少に成功すると、いつもジュースを飲んでいないと口寂しくなった自分が莫迦莫迦しくなってきた」というところだろう。

価値観などというものは人それぞれだし、同じ人でも環境や状況、時によって実に多種多様千差万別である。同一人物に限っても、時間が流れれば180度価値観ががらりと変わる場合もある(幼いときに病み付きになっていたヒーロー戦隊ものやアイドルへの傾倒心が何年か経った後では醒めてしまうのが好例だ)。ダイエットを成し遂げ本来あるべき姿に自分が成りえた時、それまで自分が「欠かせない」と思っていた、そして体重減少の妨げとなっていた様々なものが、実は他愛もない、大したものではないということになっているに違いない。


[まとめ]
・何も苦労せずにダイエットができると考えない。何かを成し遂げるためには何らかの犠牲が必要。


[自分の場合]
自分の場合は「病気再発への恐怖」「主治医からの指示」のため、様々な「食事に対する欲求」を差し出さざるを得なかった。外食、外売りの弁当や惣菜などはほとんど口にできなくなったし、好物のほとんどともよっぽどのことが無い限り出会うことは無くなった(そこまでオーバーではないが)。

もちろんそれらへの欲求が無くなったわけではない。今でも美味しそうな菓子パンの香りがパン屋から、そば屋独特の鰹だしの汁の香りがそば屋から漂ってきたり、食品売り場で香ばしいから揚げの香りが鼻を刺激すると、山盛り買って腹いっぱい食べたい気持ちにもなる。が、それらの衝動はかつての自分のそれと比べるとかなり抑えられたものになっている。

ストレスというものに対する情報がある程度世の中に広まった現在では「ストレスは良くない。だから我慢してはいけない」という考え方を主張する人がいる。だがまったくのストレスの無い、つまり思ったままの行動をすべて肯定することになれば、それは単なる動物であり、人間ではない。問題なのは過度のストレスなのであって、ある程度のストレス、つまり我慢は人間が人間らしい、そして本来の自分の姿を獲得するためには必要不可欠なものだと思う。

ともあれ、やせた自分自身の姿を見て、「何にしても、自分が色々苦労したり我慢したり頑張ったりして、何かを差し出さないと結局自分は何も得られないのだよな」と実感したのは確かだ。

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