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[3](序章:入院前)

| 入院編

11月の「月一通院の際の問診」で、事情を説明。むくみの様子と検査の結果、レントゲン写真を見ながら医者は言った。「かなり悪化している。このままぐずぐず治していくよりは、入院してちゃんと治療した方がいいでしょう。肺への水が相当溜まっています」。

過去に入院した経験が無かったこと、ストレスの原因でもある会社での仕事も休むわけにはいかないので、これまでは入院への抵抗感があった。だが年末になると入院患者が増えてベッドが空きにくくなるので予約も取りづらくなるから、今のうちに入院をしておいた方が良いと言われ、素直に助言に従った。下手にさらなる症状悪化の上、ベッドが空かなくて入院出来ないとか、変な病院にたらいまわしされたのではたまらないからだ。

入院日は12月1日に決定。だが、最後に問診を受けてから入院日までは、今から考えると「半分死んでいる」ような状態だった。

何しろ家の中にいても、十歩歩くたびに休まねばならないほど体が重く動くのがつらい。気力がまったく出ない。下半身のむくみも最高潮に達し、椅子に座ることすらままならない状態。さらに、一度横になると、膝から下の部分のむくみなどのため、足を折り曲げるのが難しく、なかなか起き上がれないという、端から見たら「何やってるの?」と首を傾げられても仕方ない事態に。

風呂に入ってもむくみで体全体、特に足の部分がふくらんでいるため、非常にキツいし、足が曲げられないので入るのも出るのも苦労するありさま。足のせいでズボンやパンツなどをはくことすら大変になった。

そして夜になると足に激痛が、否応なしに襲い掛かってきた。例えるのなら足の皮の内部から無数の剣山が皮膚を刺し、さらにざらざらと引っ掻き傷を作りながら強く撫でていくような錯覚に陥る、まるで拷問されているような痛み。これが毎日夜、数時間続く。どうやら肉離れを起こしているらしい。

さらにネフローゼ特有の症状の一つ、喉の乾きもピークをむかえ、睡魔が乾きに打ち勝つまで水を摂取しなければならなかった。当然睡眠不足になり、体力はさらに削られていく。

入院するにあたり、色々な準備をしなければならない。病院に持っていく着替えなどはもちろん、しばらく家を空けるわけだから水回りを中心にそれなりの掃除をしておかないといけない。帰宅したら腐海と悪臭が家内を支配していた、なんてことになりかねないからだ。だがまともに歩くことすら困難な状況で、満足のいく掃除など出来るはずもない。その間にもますます病状は悪化していくのが自分でも分かった。入院数日前には「早く入院日になれ」と祈りながらカレンダーを見たくらいだ。あるいは無理せず、救急車を呼べば良かったのだろうか。

入院当日はもう気力だけで生きているような状態。前日までに荷物をバッグに入れることが出来ず、朝早く起きて自分自身を切羽詰らせて準備させるという、分けのわからないことをする。それくらい、動くことすら大変な段階だった。結局荷物はバッグに収めることが出来たが、優先順位の低い燃えるゴミを捨てきることはかなわなかった。

病院へはバスで。ラッシュを避けて、というのと「一刻も早く」という思いから、朝一で出発。これもよく考えてみれば無茶な話だったかもしれない。実際、もうほとんど「ギリギリセーフ」というのが自分でも分かった。入院受付で待たされたのがどれだけ長く感じられたことか。

案内された病室は5階。看護師……そうそう、昔は女性の看護師の事を「看護婦(女性)」「看護士(男性)」と呼んでいたが、今では男女平等の観点からその呼び方は使わないそうだ。でも一部の医者はまだ使っていたし、「ナース」という呼び方も健在……の待機所と受付を兼ねているナースセンターに事情を話すや否や、安心感のあまりその場で倒れてしまった。腰から力が抜けて立っていられなくなるとはこんな感じなのかな、と後から思ったが、その時は何も考えられなかった。

数人の看護師に抱えられ、現在の体重を量った後、取り急ぎ病室へと運ばれた。体重は確か137Kgくらいだったか。元々太めの体格だったというのもあるが、むくみによる体重増加でここまで、と自分なりにショックを受けたのは覚えている。

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