Asuka UO三国志 呉伝 (攻防編)
(注釈)
イベント War ギルド、「UO三国志」の歴史と戦記の続きです。
このページでは第6回から第11回までを記載しています。
1999年の春から2年以上続いたUO三国志ですが、このページのお話は 1999年の夏から 2000年 の初頭までの話です。
UO の時代としては、T2A 時代の後期で UO:R 導入の直前までとなります。
なお、この「UO三国志戦記」では、武将の敬称は省略しています。
予めご了承下さい。
(2002年9月〜10月記)
= UO三国志戦記=
講釈 其之六、 開戦!
UOで皇帝ゴルモアが打倒され、UO:R の元計画が発表された 1999年の夏頃・・・
やっと UO三国志 のスタートの目処が立とうとしていました・・・
戦争や魔法の使用制限などのルールも決まり、進行先発表などの手順、戦後処理の方法などが、この頃ようやく決定したのです。
UO三国志は本格的な開戦まで、約半年の月日が必要だった事になります・・・
領土のマップも、司馬懿が提出した原案を元に魏文官'S で調整され、全体会議で承認された右のものに決まりました。
このブリタニアをいくつかに分けた領土を巡って、UO三国志は争われる事になります。
首都は史実の三国志の領土の位置と、それぞれの国のギルドハウスの位置を考慮し、魏はブリティン、蜀はトリンシック、呉はべスパーに決まりました。
でも実はこのマップ・・・
いまいちバランスがとれてなくて、蜀が少し有利で、魏がかなり不利だったんですよね。
それが解ったのは、実際に領土争いが始まってからの事でしたが・・・
そして8月の終わり頃、ついに UO三国志 の本当の戦いが始まる事になります・・・
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さて、本戦の開始後、各国とも周辺の空白地を占領しつつ、領土を広げていきました。
呉も南方の海洋方面に進出、そこの領土を切り取っていきますが・・・
せっかく始まったんだし、みんな早く戦ってみたいと言うのが本音。
と言う訳で、2週目にして早くも各国で衝突が起こり始めます。
呉の最初の戦いは、3週目、バッカニアーズデンから進出してきた魏との攻防戦でした・・・
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[ 魏 VS 呉 初戦 ]
戦場は NuJel'm 近郊の島となりました。
南部に森、北部に住宅地のある島で、呉は南部、魏は北部を本陣とします。
本陣には兵糧に見立てたブタの丸焼き10個を設置、これが全部食べられると兵糧を奪取されたものとして敗戦となります。
もちろん、総大将の戦死でも敗けです。
戦いに際して作戦が練られますが・・・
この時の作戦は孫策の一声ですでに決まっていました。
「全軍で魏の兵糧に突撃する!」
なりふり構わず全員で魏のブタに特攻、速攻で食べつくして「兵糧庫攻略」で勝利しようという、言わば電撃作戦です。
この作戦に際し、前日から呉の全軍には 「飯食うな!」 という命令が出ていました。
腹いっぱいだとブタを食べられないからで、逆に限界まで腹が減っているとギリギリ2つのブタの丸焼きが食べられるからです。
しかしみんなイマイチ覚えてなくて、しかも戦士は普通 食事は取るので、ばっちり食べて腹いっぱいの人や、おべんとうを持って来て集合場所でムシャムシャ食べて「誰だ食ってんのはー!」 「食うな〜〜!!」 とおこられる人とか出ていましたが・・・ ^^;
しかしとりあえず、全軍で集まり開戦前に作戦の確認を行い、それぞれが戦争前の最後の準備を整え、あとは開戦を待つだけの状況となっていました。
ところが、ここで諸葛瑾が一言。
諸葛瑾 : 「あっ、しまった」
孫策 : 「どうした?」
諸葛瑾 : 「家の鍵を持ってきてしまいました・・・」
・・・これはやばいです。
当時は家の鍵の付け替えやオーナー権の導入は行われていましたが、まだロックダウンやセキュアは導入されていない頃で、つまりもし家の鍵を取られてしまうと、家にある全ての財産・アイテムを奪われてしまう危険があったのです!
そのため鍵は絶対に持ち出してはならず、普段は銀行に預けておき、必要な時だけ出すようにしなければならないものだったのです。
これはさすがに鍵を置いてくるしかないだろう、と思ったのですが、開戦も間近です。
さあどうする? と思っていたら、殿が一言。
孫策 : 「大丈夫だ」
孫策 : 「死ななければよい」
いや、そりゃそうだけど・・・ 確かにその通りだけど・・・ 何か違うような・・・
っていうか、それって大丈夫って言うのか?
諸葛瑾 : 「はい ^^; わかりました」
「はい」 なのか・・・ 解ったのか・・・ しかもにこやかに・・・
全体IRC : 「3、2、1、 開戦!!」
何だかよく解らない会話がありましたが、とにかく開戦です!!
総大将 孫策 に続き、魏の本陣向かって進軍していく呉の将兵達!
一方の魏は迷路のような住宅密集地の中に兵糧を置き、その周囲を固める完全な防衛策を取っていました。
呉が魏のいる方向に一気に向かっていったため、程なくして両軍が遭遇!
そのまま呉の将兵たちは魏の兵糧に向かって突撃します!
しかし魏の方もそのまま食べられる訳はありません。
文官がブタの前にウォールストーンを出して隠してしまい(ウォールストーンは透過も効かない)、さらにその周囲に武将が密集し、ブタが完全に見えないようにしてしまいます。
これでは食べられません!
一斉に突撃していく呉軍ですがこの状態では兵糧を襲うことは出来ず、逆にバラバラに突撃していく呉に対して魏は密集しているため、各個撃破で呉の武将が倒されていきます。
状況は呉軍に不利!
そこで私は・・・ 思い切って前に出て、魏の部隊に爆弾を投げまくる事にしました!
UO三国志では各戦場に1人だけ爆弾を扱える文官を配置する事が許されており、この戦争では私が爆弾文官を勤めていたのです。
味方のサポートが得られそうな場所から魏の本陣に近づき、ブタに向かって爆弾を投げまくる!
連続した爆発によってさすがに魏の武将達もその場所から離散!
そのまま呉の武将が突撃していき、兵糧の周囲で両軍乱戦に!
すると当然、ブタの近くに味方も来たりする訳ですが・・・ ここで爆弾を投げやめたら、また魏にブタの近くを固められてしまう。
と言う訳で、その後もブタに向かって、敵がいようが味方がいようが無視してポイポイ爆弾投げまくる!
この判断は結果的に間違ってなかったとは思いますが・・・
戦争後に「俺に爆弾投げるなよ〜」とかみんなに言われるハメに・・・ ^^;
そしてその後、兵糧の近くで爆弾ポイポイ投げているヤツがいたら当然目立つ訳で、敵に襲われて一旦逃げ出します!
その逃走中、数人の味方がいる所に助けを求めるつもりで近づくと・・・
その味方が突然こちらに弓を構え、矢を ヒュッ !!
え? なんで? 「がすっ」 「おふうぅぅ〜〜〜(死亡)」
そう、その味方は爆弾の爆発に巻き込まれており、その時に攻撃対象がこちらに移っていたままだったのでした・・・
こうして、私の記念すべきUO三国志 本戦第1戦目は、味方に殺されて終わったのでした・・・
しかし、その後も呉軍はそのまま兵糧への突撃を続行、間もなく魏の兵糧は全て捕食され兵糧庫陥落、初戦の戦いは呉の勝利に終わります。
実は呉はこの本戦が始まる前の模擬戦では個人戦闘力に勝る魏に負けまくっており、そのためこの勝利は久々の勝利でもあって、かなり嬉しいものでした。
また、作戦がうまく決まったと言う喜びもありました。
個人的にも勝てて嬉しかったのですが、これでさらに生き残ってたら、完璧だったんですけどね・・・ ^^;
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こうして、UO三国志 の戦乱の時代が幕を開ける事になります。
ちなみに、諸葛瑾は・・・
鍵がなくなったとか聞かなかったので、大丈夫だったんでしょう。たぶん。
つづく。
= UO三国志戦記=
講釈 其之七、 戦争と平和
UO三国志は War メインで進行して行きましたが、元々は三国志のキャラクターでロールプレイしながらイベントや戦争をやろうと言う企画で、何も戦いばかりしていた訳ではありません。
UO三国志の本戦が始まってしばらくした頃、三国志のメンバーでバザーをやってみようと言う話が出てきました。
これは西涼の貂蝉が最初に提案したもので、「もっと多くの人にUO三国志を知ってもらうため、アイテムなどを持ち寄って、みんなで露店を開いてイベントを開催してみてはどうでしょう?」というものでした。
さっそく「三国志バザー」のイベントが企画され、何人かの進行役などが決定し、各国で販売用アイテムの生産・収集が始まります。
私も大工キャラを持っていたので、まだ当時導入されてそれほど間がなかったハウスアドオンの生産を始めます。
生産キャラを持っていない人も、矢を集めたりマジックアイテムを集めたりして、みんなで当日に備えました。
そして、開催当日。
前もって Asuka BBS や各UO系BBS で宣伝していたため、かなり多くの人が集まってくれました!
私は一通り会場に机を並べたりした後、呉のブースでハウスアドオンの格安販売を開始。
生産キャラのない人は会場の警備などを担当。
他にも高級マジックのオークション販売とか、矢や防具の大安売り、スペルブック500G販売など、色々なものがありました。
特に魏でやっていた、馬やオスタードやインプなどのペットをサイコロの出目で貰えるというコーナーはかなり人気があり、ちょっと羨ましかったかも・・・ ^^;
でも私の用意していたハウスアドオンも、当時は大工の修行が大変でそれを売る店が少なかった事もあってほとんど完売。
大きなトラブルもなく、若干現れたシーフは警備役の武将が追い掛け回していたので特に問題も起こらず、盛況のまま無事バザーは終了しました。
特に三国志を知っている人だと、武将の名前の付いたキャラがずらーっと並んでいたので、おおっ! と思うものもあったようですね。
それがお店をやってるってのは、ちょっとイメージ違ったかもしれませんが・・・ ^^;
こういうイベントは、行く方も面白いですが、やる方も面白いのでお勧めですよ!
ちなみに、ホントは GM サポートも受けたかったんですが、GM サポートを受けるには1ヶ月以上前から申請をして予定を組んでおかなければダメなようで、この時は断念せざる負えませんでした。
GM にもスケジュール調整が必要になりますので、GM サポートのイベントをやってみたい方はご注意を。 イベント連絡先とかは豆知識にも少し書いてます。
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さて、その一方で、もちろん各国の領土争いも続いていました。
今日はその中の、ある戦いの模様を書こうと思います・・・
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[ 魏 VS 呉 濡須口の戦い ]
UO三国志は、毎週水曜日に各国が進軍先を発表し、その後 防御側が戦地を用意して、土曜日の夜に戦争をするというスケジュールで進行していました。
しかし3国ある訳ですから、互いが相手の国の別の領土を攻め合ったりとか、一方を攻めている時に別の国から攻められたりとかいう事も起こります。
こういう場合は、それぞれの場所の戦いを別々の時間にやるのではなく、その日に参加する武将をそれぞれの戦地に振り分けて、全ての戦場の戦いを同時にスタートする方式で進められていました。
しかし・・・ 兵力は分散させるより、集中した方が強いに決まっています。
そのため複数の戦場がある時には1ヶ所に兵を集め、もう一方の戦場にはほとんど人を派遣せず、完全に捨ててしまうという、「捨て戦地」と呼ばれる行動が取られる事もありました。
これは、UO三国志に兵の振り分けという戦略性を持たせる一方で、捨て戦地の相手と戦う事になった軍は、まともな戦争ができずに終わってしまうと言う問題も起こしていました・・・
さてこの日、呉は蜀を攻撃する一方で魏に攻められ、両軍と戦争をする事になっていました。
しかしこの日は領土的に蜀との戦いの方が重要だったため、魏の戦場には2人しか派遣しない事になります。 つまり、魏との戦場を「捨てた」訳です。
しかし、その2人の派遣武将は 甘寧 と 朱治。
このうち甘寧は呉の軍事顧問でもあり、非常に対人戦に強い人でした。
そしてこの日、魏は別の領土を蜀に攻められており、魏の方にも戦場が2つありました。
つまり呉は・・・ もし魏の方も呉との戦いを「捨て」て、少数しか武将を派遣していなかった場合は、武力差で勝ってしまおうという作戦です。
と、言う訳で、甘寧は朱治と共に魏との戦場へと向かいます。
2人だけなので作戦なんてありません。
そのまま戦争開始の時刻を待ち・・・ そして開戦!!
甘寧と朱治は慎重に魏の本陣に近づき、敵の様子を伺います・・・
魏は海岸に船を停泊させており、そこを本陣としている模様。
魏の船には4、5人の武将が待機していました。
魏の方も人数はそれほど多くありませんが、しかし呉は2人だけなのでどう考えても不利。
しかしこの状況で甘寧は・・・ 魏の軍船に2人で斬り込み、一気に敵大将の首を取ろうと言う大胆な作戦を考えます!
今思うと、「元海賊 甘寧」らしい作戦です!
そして2人はハイドで隠れつつ慎重に機会を伺い・・・
隙を見て魏の船に突撃! そしてすかさず甘寧は魏の軍船に飛び乗り、そこにいる魏の将兵を急襲します! 突然の事に壊乱する魏の部隊!
しかしすぐに魏の武将も甘寧に対して反撃を開始! 船上で戦いが繰り広げられます!
そこにさらに朱治も走り寄り、魏の船に乗り込む! と、思いきや・・・
なぜか朱治は斬り込まない! 海岸で止まったまま!
実は、朱治は・・・ 船の乗り方を知らなかったのです!!
魏の船で孤軍奮闘する甘寧が心の中で叫ぶ!
「なにやってんだシュッチー! 早く来いっ!!」
しかし歩いて乗れると思ってたらしい朱治は海岸をうろうろ! 甘寧孤立!
そんな様子を見て魏の司馬懿が船頭に命令を出します!
「船を沖へ出せ」
こうして・・・
海岸で朱治が見守る中、魏の船は甘寧を乗せて、ゆっくりと海の向こうへと旅立って行ったのでした・・・
その後、甘寧の姿を見た者はいない・・・ ^^;
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つづく。
= UO三国志戦記=
講釈 其之八、 進軍
某大予言のハズレた 1999年10月・・・
UO三国志は開戦からおよそ2ヶ月程が過ぎようとしていました。
当初は領土1つずつではじめたこの戦いも、毎週の戦争で徐々に領地は埋まっていきます。
そして、各国で領土争いの戦争が続き、それはまさにUO三国志として理想の展開と言えました。
毎週の運営も順調で、また日ごろの行いが功を奏して、UO三国志は Asuka でも信頼のおけるギルドとして認知されるようになり、戦争時に戦場に人が訪れたりしても事情を理解してくれて、移動してくれたり、協力してくれるようにもなりました。
ただ・・・ その信頼を逆用し、UO三国志の名を騙って詐欺をする、ニセ三国武将が現れたりもしましたが・・・ ^^;
三国そろってのイベントもよく開催されたりして、この頃が最も順調な時期と言えました。
しかし、このしばらく後から、やや雲行きが怪しくなっても来るのですが・・・
今日はこの頃の、ある戦いの記録を書きたいと思います。
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[ 魏 VS 呉 合肥の戦い ]
その日、呉は魏との戦いに主力を集めていました。
他にも戦場がありましたが、今回は別の場所を少数にしてこちらに戦力を集中、一方の魏もこの戦場を本隊として兵を集めていました。
つまり、主力同士の戦いです。
魏は山岳地帯の凹んだ場所の奥を本陣とし、その前面の狭い住宅地に陣を構えて守ると言う、完全な守備型陣形を取っていました。
一方の呉は攻撃優先、全軍で固まって移動しつつ、敵を攻撃する作戦です。
そして作戦会議の後・・・ いよいよ開戦!
呉軍は全軍固まって慎重に魏の陣に向かって進軍、同時に斥候部隊を放ち、前線の魏の様子を探ります。
一方、魏の方も陣を固めつつ、斥候部隊を展開して呉の様子を偵察します・・・
そしてしばらく後、当然の様に双方の斥候部隊が接敵。
でも偵察が目的ですから戦闘は散発的なもので、両軍の斥候とも本格的に戦わず、本隊への連絡を行います。
ところが、ここで人知れず・・・ とんでもない事件が発生・・・
さてその後、進軍中の呉軍は魏が山の窪地前面の住宅地に陣を構えているという情報を偵察により入手、その少し手前で進軍を停止し、全軍集合します。
実は偵察に出ていた韓浩だけがまだ戻っていなかったのですが、誰も気づかず、魏陣の突破作戦を相談します。
しかし作戦と言っても、基本的に呉には「守るより攻めた方が強い!」という考えがあったため、戦士を前面、文官を後衛にして一気に突破! と言う事で決定します。
薬やアーチプロテクションなどの準備の後・・・ 一気に突撃を開始!
そして魏の前面部隊と交戦状態に突入! 戦場を飛び交う矢と燃え上がる火計(FF)!
激しい戦いが始まります!
が、実はこの時・・・ 戦争はすでに終わっていたのです!
呉の斥候として本隊より先行して偵察を行っていた韓浩は、その途中、森の中で魏の総大将である曹休の姿を発見!
魏の総大将が本陣の外の、こんな戦場の真ん中の森で、一人ぽつんと何がしたかったのか・・・
はっきり言って、謎です。
とにかく、敵の姿を見た韓浩はそのまま一気に曹休に向かって突撃!
逃げ回る曹休をそのまま戦場の隅まで追いかけまわし、ついに討ち取ってしまったのです!
が、こんな誰もいない戦場の片隅で、しかも一番最初に総大将が死んだなんて誰も思わない。
そして韓浩自身も、まさかそれが総大将だとその時思ってなかったらしい。
その後 曹休は、IRC の全体チャンネルで「魏の総大将、死亡しました。戦争終結です」と報告するのですが・・・
ちょうどそのとき、両軍は遭遇したばかりの時で、みんな激戦の真っ只中!
みんなそんなもの見ている余裕はない!!
戦いは呉が魏の陣を突破しようとしますが、魏の方も文官が狭い通路にエネルギーフィールドを出し進撃路を遮断! その後方から武官が弓で呉を攻撃します!
そのため突撃が止まってしまう呉軍!
すぐに私は前面に出て、そのフィールドをディスペルフィールドで消そうとしたのですが・・・
視線ミス! 近くの家の角が微妙に視線を遮っており、術が届きません!
しかも私はそれに気づいてなくて、他の文官は GH に忙しかったり密集した武官が邪魔で前に出れなかったりしたため進軍が停滞してしまいます!
立ち往生の呉軍に魏が弓を次々と掃射! これはピンチ!!
一方その頃・・・
全体 IRC では曹休が一人、一生懸命に戦争終了を訴えていました・・・
「魏の総大将 曹休、戦死してます。 戦争終わりです〜〜〜」
しかしみんな激戦の真っ最中! 全体チャンネルなんて誰も見てない、聞いてない。
曹休殿、1人でせつなさ炸裂。 ^^;
その後 戦場では、私を含め部隊の前面に出た呉の文官が一斉にエネルギーフィールドをディスペル、密集していた呉が一気に魏の陣に雪崩れ込みます!
陣は守っている間は強いが・・・ 突破されると部隊が壊乱するため、脆い!
そのまま両軍が乱戦状態に突入!
戦いの中で呉の総大将 孫策が魏陣に突撃しながら命令を叫びます!
「総大将、曹休を探せ!! 他の奴には構うな!」
私も部隊と一緒に山岳地帯の窪地内に突入!
地形が地形なので、相手の総大将に逃げ道はないはず!
走り回る武官に GH をかけながら、一緒に奥へと進んでいきます。
そのまま戦闘は呉が優勢になって行き、魏の残りの部隊は壊走、私も大将を探そうと一気に最深部に突撃していきますが・・・
なぜか魏の総大将いない! 逃げ道はないはずなのに!?
他の武官も曹休の姿を探しているが、なぜかどこにも見当たらない。
一方、魏の生き残りの部隊も窪地の周囲を走り回っていましたが・・・
こちらも何やら、総大将を探している様子。
で、一段落ついて、みんなで 「あれ? 大将がいない。 おかしいぞ?」 とか思っていると・・・
IRC の全体チャンネルで、一人で必死で叫んでいる曹休の姿が。
曹休:「だから俺、死んでるんだって〜〜〜〜」
そして一斉に飛ぶ当然の質問。
みんな : 「いつ?」
曹休 : 「最初。」
みんな : 「・・・・・・」
IRC の全体進行のチャンネルを確認してみると、確かに一生懸命 終戦を訴え続け、そしてひたすら無視されまくっていた曹休のむなしいセリフが延々と・・・ ^^;
こうして・・・ 激しく、しかし実は全然意味なかった戦闘は、あっさり幕を閉じたのでした。
結局、どうして最初に総大将が一人で陣の外を歩いていたのかは・・・ 謎です。^^;
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つづく。
= UO三国志戦記=
講釈 其之九、 敗北と憎悪
UO三国志も開始から3ヶ月ほどがたった頃・・・
呉の国はブリタニア南東の海洋地域とべスパー周辺を支配下に収め、勢力的には1番となっていました。
魏は大陸北方を占拠していましたが蜀と呉に挟まれていて立地的に不利であり、そして蜀は初期の国内の混乱がいまだに尾を引いていて、戦闘自体もあまり強くなく、そのまま出遅れていました。
蜀は初期の頃にあまりに内部が混乱していたため、対人戦の経験者を含む多くの参加者が脱落・出奔しており、そのため訓練なども行われないままに本戦に突入していたのです。
しかしこの頃ようやく、一部の武将達の努力、姜維の必死の引き止めや、馬超の誠実な運営で徐々に人も増え、力を取り戻しつつありました。
そしてこの頃ついに、三国志の物語の主人公級の武将「諸葛亮」を演じるプレイヤーが蜀に参加、彼は他のシャードで WAR ギルドのギルマスもしていた人物で、彼の指導の元に蜀は急に力を付けていきます・・・
さて、そんなある日・・・
海洋地域をほぼ掌握した呉は、遂に蜀の首都トリンシックを攻撃する事を決定します!
首都は連続で2回敗戦しないと陥落しないと言うルールがあり、攻める側のリスクも大きいのですが、呉は新しい進出場所を求めてここを攻撃します!
もちろん蜀もここを落とされると本拠地陥落。
それが即敗北ではありませんが、窮地に立たされる事は確かであり、また元々UO三国志の各国はギルドハウス近くの街を拠点としていましたから、落とされると不便この上ない事になるため必死で防戦する事になります!
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[ 蜀 VS 呉 漢中・剣門関の戦い ]
戦争当日。蜀の首都攻防戦。
もちろん呉の総大将は孫策・・・ と言いたいのですが、この日の孫策は回線の調子がかなり悪く、まともに動けなかったため、数名の武将と共に別戦地行きに。
そのため総大将は甘寧が勤める事になり、他に馬謖も呉の軍に加わっていました。
蜀の総大将は馬超、そして軍師(爆弾文官)は諸葛亮孔明です。
馬謖と言えば、史実では諸葛亮の弟子で蜀の軍師の一人ですが、このUO三国志ではこの時、呉の軍に加わっていました。
彼は初期の頃は蜀に加わっていたのですが、初期の蜀の運営者である(初代)劉備3兄弟のやる気のなさを目の当たりにし、戦争のための訓練や補給体制の確保などを訴えてもことごとく却下され、さらに蜀内の混乱を見て嫌になり、ついに出奔、呉の国に亡命していたのでした。
さて、集まった両軍は戦地の所定の場所に集合します。
UO三国志のルールでは防御側が戦地を決める事になっており、蜀の用意した戦場はトリンシック近郊の周囲を崖に囲まれた要害の地でした。
さっそく呉は開始前、作戦会議をしようとしますが・・・
私 : 「作戦はどうします?」
甘寧 : 「みんなで突撃。いじょ。」
・・・作戦っていうのか? これは・・・ (^^;
でも呉には元々、模擬戦などの結果から、「守って破られると壊乱する防御戦術より、攻撃戦法の方が強い」という考えがあり、実際に攻めた方が勝率が高かったため、特に反論する人もいませんでした。
しかしこの日は、この単純な戦法が最悪の結果を呼ぶ事になります・・・
呉は元々、蜀は戦争に弱いと考えていたので、相手を甘く見ていたというのもあったかもしれません・・・
そして制限時間が来てカウントダウン開始。 3・2・1・・・ 開戦!!
さっそく呉軍は固まって前進していきますが、左右が崖に挟まれていてほぼ一本道、しかも戦場自体が小さかったため、すぐに蜀軍と接敵します。
敵発見後、すかさず総大将の命令が飛びます! 「全軍突撃!!」
一斉に突っ込んでいく呉軍! ところが・・・ それこそ蜀の思うツボ!
この戦場は左右が崖に挟まれ、入り口が広く、出口が狭いと言う、ハの字型の地形でした。
これは実際の兵法でも絶対に入ってはならないとされる最悪の地形!!
入るのは容易ですが出るのは困難なため、奥のほうでぎゅうぎゅう詰めになってしまうのです!
もちろん蜀はその出口をフィールドや武将で固め、出れなくしてしまいます!
ぎゅうぎゅう詰めの呉軍は進む事も引く事も出来ない!
そこに火計(FF)と爆弾が放り込まれる!
加えて、両側の谷の上に伏兵(ハイド)していた蜀兵が出現、谷の上から一斉に矢を浴びせかけてきます!!
狭い谷間の中で上から無数の矢を浴びせられ、まるで蜀の本拠地 成都を攻略をしようとした魏の鍾会が、姜維の連弩で迎撃されるかのような状態に!
そのあまりに最悪な状況に、私は思わず IRC で叫びます!
「これはダメだ! 全軍後退!!」
しかし私は指揮官でも何でもないので、そんな事言っても説得力 0。
それにこの状況では前の方の武将は下がりたくても動けない・・・
「これはムリです! 後退しましょう!」 と大将に訴えますが、甘寧はその後も突撃命令を繰り返します。
「ここを突破すれば勝てる! 全軍突撃!!」
私は必死で味方に GH をかけていましたが、文官は優先して谷の上から狙われるし、思うように援護も出来ない。
そのうちマナも尽き、爆弾文官でもあったので、仕方なく意を決して赤ポーションを飲みながら前まで無理やり出て、先頭付近から届く範囲の敵に爆弾を投げまくる事に!
しかし蜀軍は谷の出口で扇状に布陣しており、完全に固まっていなかったため、爆弾を投げても効果が薄くあまりダメージを与えられない。
そして当然の様に、前線で爆弾を投げまくっている私は集中して狙われ・・・
後退も出来ず、そのまま戦死。(TT
その後も呉はひたすら突撃しようとしていましたが、その地形が突破できるはずもなく、呉の将兵は谷の中で次々と戦死していきます。
そして、そのまま谷の出口付近で折り重なるように全滅し、呉はかつてない程の完全敗北を喫したのでした・・・
しかし、まだこれだけなら良かったのですが・・・ (良くはないですが)
本当の問題は、この後に起こったのでした・・・
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UO三国志では幽霊による偵察を防止するため、死んだ人は IRC のメインチャンネルでの発現が禁止されていました。
そのため、幽霊が雑談するための幽霊チャンネルが設けられていたのですが・・・
でも実際には、死んでもここに入る人はほとんどいませんでした。
でも、奇特な (?) 私はこの日、死んだ後にこのチャンネルに入っていました。
他には、馬謖や諸葛亮などがこのチャンネルに入って来ました。
(諸葛亮は 「諸葛亮」 だから、集中攻撃を食らうので死んでた)
そして、最初のうちは良かったのですが・・・
終戦後、突然 馬謖が怒り始めます!
「蜀の連中、どういうつもりだ!」
そのいきなりの激怒に私も諸葛亮もビックリ!
「まあまあ落ち着いて」 とか 「突然どうしたのです?」 と諸葛亮もなだめますが、馬謖の怒りは収まらない!
話を聞くと、どうやら蜀の武将が戦争終結後、呉の将兵の乗っていた馬を片っ端から殺し始めたらしいのです。
でも、「馬を殺してはいけない」というルールもないし、それにそれだけでそこまで怒るか? というのもあったのですが・・・
あまりに馬謖が諸葛亮に食ってかかっていたため、そのうち諸葛亮も怒り出します!
「馬を殺してはいけないなんてルールないだろ!」 「いきなり何怒ってんだよ!」
その後はもう、売り言葉に買い言葉・・・ 双方とも完全なケンカ状態。
しかもそれがその後、三国志の全体チャンネルにまで飛び火!
呉の他のメンバーも怒り出し、そのまま蜀と呉の大ゲンカへと発展してしまいます・・・
その後、怒りの収まらない馬謖はその場でログアウトし、なんとキャラ削除!!
これには呉のメンバーは大激怒!
「てめーらそこまで言う事ねーだろ!」 「ふざけんな!」
もちろん蜀も反論! 「勝手にそっちが消しただけだろ! 知るか!」
後はもう、最悪です・・・
こうして、この戦争は収集がつかないまま最悪の形で終わる事になり、その後も呉では蜀への文句が続いていましたが・・・
ただそんな呉の中で、私は一人、複雑な心境でした。
なぜなら私は幽霊チャンネルで先に怒り出したのが馬謖の方で、最初になだめようとしていたのが諸葛亮の方だったのをその場で見ていたからです。
しかし、なぜ馬謖が怒り出したのかも後で解りました。
彼はもともと馬が大好きで、UO内でも馬をすごく大切にしていた人でした。
どのぐらい馬好きかと言うと・・・ ダビスタ(ダービースタリオン)の競走馬育成のためのメモリーカードを100枚(!)も持っている言うほどでした。
(もちろんダビスタの私の馬なんか足元にも及ばない・・・ 最後の直線で画面外に消える。 凱旋門賞馬なのに・・・ (TT)
そんな彼の前で、呉がボロボロに負け、その悔しさがある中で、呉の乗っていた馬達が蜀の武将達に次々と惨殺されていきます・・・
その怒りがその場で爆発したのでした。
ただ、このトラブルの本当の理由は・・・
呉の戦争に負けた悔しさにあったように思います。
かつてないぐらいボロ負けして悔しいところに、この問題が全体 IRC へ飛び火したのが、喧嘩が拡大した最大の原因だった気がしていました。
例え「双方共に戦いを楽しもう」という気持ちがあっても、戦う以上は勝ち負けが付き、負けた方はもちろん悔しいものです。
それはどうしようもない訳で、私は「仲良く喧嘩する」という事の難しさを、この時痛感していたのでした・・・
そしてこの事件は、後の三国志の進行に微妙に影響を及ぼす事になります・・・
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つづく。
= UO三国志戦記=
講釈 其之十、 奇才・諸葛亮 孔明
前回の戦いで大ゲンカになってしまった呉と蜀の両国。
その後も、呉と蜀の関係は最悪なものになったままでした・・・
呉の IRC でも連日の様に蜀、特に諸葛亮への文句が出ていたりしたのですが・・・
実は同じ頃、魏と蜀の関係も、呉と蜀に劣らないほど最悪なものになっていました。
聞いた話なのですが・・・
どうも魏と蜀の戦争があった時、海岸に陣を構えていた魏の本隊に向かって、蜀の船団が突っ込んで行ったらしいのです。
で、これだけなら別に普通なのですが・・・ その船が大問題。
諸葛亮の指揮の元、その船の海岸側の側面には、タンスがすき間なく並べられていたらしいのです。
タンスは視線を遮るため、これでは対岸から船上に弓攻撃を行う事が出来ません!
さらに、船の甲板には布が一面敷き詰められており、フィールド魔法を出す事も難しくなっていたのです。(フィールド魔法はアイテムをターゲットには出来ない)
加えて、魏の武将が船に斬り込もうとすると、入り口の橋ゲタのところに箱が何重にも重ねて置かれており、乗り込んだが最後それが邪魔になって身動きできず、そのまま蜀の武将に次々とハメ殺されていったらしいのです!
これには魏の武将達も大激怒!
そもそも、UO三国志には「みんなで戦争自体を楽しもう」という暗黙の了解があり、こういった戦法はやらないようにしていたのです。
蜀のこの「勝ち」だけを意識した戦法に、魏の文官たちは非難ごうごう!
それに、「戦場に障害物になる物を置いてはならない」というルールもありました。
しかし、後から UO三国志 に入った蜀の諸葛亮は「暗黙の了解」なんて知らないし、最初の頃に決められたマイナーなルールも知りません・・・
こちらも相応の理由を出して魏に反論!
そのまま IRC で大ゲンカになってしまったらしいのです・・・
その後、蜀の諸葛亮と魏の司馬懿や荀イクなどの文官達は、ことある事に口論していました。
で、私はそれを、「うーん、諸葛亮と魏の文官達が口論するのって、史実っぽくていいな〜〜」とか思っていたのですが・・・ (^^;
もちろん本人達は本気で言い争っているので笑い事じゃない。
さらにその後、諸葛亮はこの機会とばかりに UO三国志 のおかしい点を指摘、三国志のルール自体にも意見しようとしますが・・・
しかしこれは、参加者の多くから反感を買う事になってしまいます。
確かに UO三国志 のルールも完璧ではありませんでしたが、UO三国志は開始当初、ルールがなかなか決まらずその進行が停滞してしまったと言う苦い過去がありました。
ですから、またルールで揉める様な発言をされる事は、だれも望んでいなかったのです・・・
結局、多くの人に恨まれる事になった諸葛亮は、全体の中で蜀と共に孤立していき、いつの間にかその姿を見せなくなり、その後、UO三国志の表舞台から去っていきました・・・
私は諸葛亮がUO三国志に入ったばかりの頃に話をした事がありました。
そこで彼は、「みんなで協力して戦争やイベントをやっていこう」というこの企画を絶賛し、「私が諸葛亮として活動する事で、少しでもUO三国志を盛り上げていきたい」とすごく希望に満ちた感じで語ってくれました。
実際、「三国志」という物語の主人公級の人物である軍師「諸葛亮」を演じようと言うのは、かなりの覚悟がいる事だったと思います。
そして、彼が UO三国志 で取っていた行動は、まさにその「諸葛亮」を演じていた行動だったと思うのですが・・・
皮肉な事に、それは彼の思っていた事と正反対の方向に向かっていく事になりました・・・
非難の集まる中で、私は密かに、彼の事が不憫でならなかったのです・・・
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[ 蜀 VS 呉 夷陵の戦い ]
さて、話は少し前後しますが・・・
これはまだ、諸葛亮が蜀の軍師として活躍していた頃の戦いのお話です。
その日、呉は戦場が3つもありました。
呉が蜀を攻めた一方で、別の領土を蜀と魏の双方から攻められていたのです。
当然こうなると兵を分けなければなりませんが、さすがに兵を3つに分けたのではどこにも勝てません!
仕方なく、蜀に攻められた戦地は捨て、他の2ヶ所に兵を集中させる事になります。
しかし、この頃の三国志のルールでは戦場には必ず武将を1人は派遣しなければならなかったので、例え捨て戦地でもその場所に行く人を誰か選ばなければなりませんでした。
と言っても、一人で戦場に行くのですから・・・ 当然死ぬのは必至。
そんな場所に行きたいと思う人がいるはずが・・・ ありまくり! 応募者多数!!
「ぜひこの私が!」 「いやこの私こそ!」 「いやいや私が行きます!」
どう考えても死ぬこの戦場に行きたがる人が続出! 訳わかりません!
呉軍、死にマニア多数です。 ^^;;
で、結局、最初に立候補した 陸遜 が捨て戦地行きに決定。(UO三国志の陸遜は武官だった)
さっそく陸遜は戦争の・・・ というか、死ぬ用意を開始。
死に装束を選び、本に遺書をしたため、死にぎわのキメゼリフを熟考し、さらに相手に取られる「戦利品」を色々用意し始めます。
・・・ヘンです。 ^^;
でもとりあえず、誰が行くかは決まったので、残りのメンバーの各戦場への振り分けが行われ、各々が戦争の準備を始めるのでした。
そしていよいよ、戦地への移動開始時間前。
死に装束と遺書、その他もろもろバッチリの 陸遜 は勇躍して(?)蜀との戦地に移動。
他の国、他のメンバーも戦地に移動し、それぞれの初期位置で陣を張ります。
その後、陸遜は1人だけで作戦も何もないので、そのまま戦争の開始を待っていると・・・
突然 IRC で蜀の諸葛亮から連絡が。 それはなんと・・・ 降伏勧告!!
さらに、IRC の全体チャンネルでは各戦地の大将と爆弾文官の発表が行われていましたが・・・
陸遜のいる戦地の蜀の軍容は、「大将・姜維、爆弾文官・諸葛亮」。
そしてもう1つある蜀の戦地の大将は適当っぽくて、爆弾文官もなし。
どう考えても陸遜の側が蜀の本隊です!
そんな中、大将の発表でその戦場が呉の捨て戦地だと思ったらしい諸葛亮から、陸遜への降伏の説得が続きます。
「どうせ戦っても結果は見えてますし、時間の無駄ですから終わりませんか?」
「降伏してくれた場合はルートもしませんよ」
「まともな戦いにはならないだろうし、このまま帰った方が得だと思うのですが・・・」
確かに、諸葛亮の言う事も一理あります。
しかし、ここで降伏勧告を受け入れてしまうと・・・
せっかく用意してきた遺書、戦利品、キメゼリフ、その他もろもろの死に準備が全て無駄になってしまいます!
陸遜としては絶対に受け入れられません!
と言う訳で、陸遜は諸葛亮の降伏勧告を断固固辞!
「いえ、私も呉の一員です! 潔く戦い、そして潔く散ります!」
うーん、確かにセリフはカッコイイ。 ^^;
そして結局、諸葛亮の説得も虚しく、降伏は受け入れられないまま戦争開始時間に。
全体 IRC : 「3、2、1・・・ 開戦!」
「行きます!」 陸遜はそう伝えると蜀の軍に向かって単騎で駆け出していきます!
・・・そして、しばらく陸遜は蜀の陣に向かって走り続け、そこで見たものは・・・
姜維と諸葛亮、たった2人だけの蜀の本陣。
そう、諸葛亮の降伏勧告は、実はハッタリ!
地理的に呉がこの戦場を捨ててくると考えた諸葛亮は、この戦場の大将を姜維、軍師を諸葛亮にしていかにも本陣であるように見せかけ、降伏勧告によって戦わずして相手を撤退させようと考えていたのです。
それはまさに実際の「三国志」で諸葛亮が城をワザと空にし、司馬懿を怪しませて撤退させた策略 「空城計」のようなものだったのです!
しかし、超死にマニア と化していた陸遜にそんなものは通用しなかった!
諸葛亮の姿を見つけた陸遜はすかさずセリフを叫びつつ斬りかかる!
その攻撃に虚を突かれたのか、諸葛亮、あっさり戦死!!
そのまま姜維との一騎打ちとなり、姜維も撃破!!
潔く死ぬどころか、おもいっきり勝ってしまったのでした・・・
そして、「陸遜勝利」の報が呉の本隊に伝えられます。
驚く呉軍! 「なにぃーっ! 陸遜が1人で勝った!?」 「どうやったんだいったい!」
「陸遜が諸葛亮と姜維の軍を倒す。まさに呉軍勝利のシナリオじゃないかっ!」
と、湧きに湧き、その戦いは呉の伝説となったのでした・・・
結局、陸遜の死に準備は、全部無駄になった訳で・・・
その遺書や戦利品がどんなものだったのか、それは誰も知らないまま、闇に葬られたのでした・・・ ^^;
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つづく。
= UO三国志戦記=
講釈 其之十一、 赤壁の大戦 と 天下二分の計
紆余曲折がありながらも進行して行く三国志の戦い・・・
国同士の関係はギクシャクしている面もありましたが、個人単位では別にケンカしている訳でもなく、協力して行うイベントも実施されたりしていました。
一見奇妙な状態のようですが、ある意味、実際の国家間同士の関係に似ていると言えなくもありません・・・
さて、そんなある日、イベントとして3国が一斉に戦い合う大規模な戦いをやろうと言う事になりました。
UO三国志では攻めた国と守る国が2国間で戦って進行するルールだったので、国は3つありながらも三つ巴戦は基本的に起こらなかったからです。
そこで、この戦いを三国志最大の合戦 「赤壁の戦い」 とし、勝者は敗者国の好きな領土を1国ずつ取れるというルールで、合同の戦争が行われる事になりました!
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[ 魏 VS 呉 VS 蜀 赤壁の戦い ]
三つ巴の大規模戦、赤壁の戦い。
史実では海戦でしたが、UO三国志では T2A の辺境地で行われる事になりました。
T2A の辺境は地形が入り組んでおり戦場として面白いのと、滅多に人が来ないので他の人の迷惑にならないと言う事で、UO三国志ではよく利用されていました。
参加者は各国とも25人前後、若干の傭兵武将も加わり、総勢で80人近くの三国武将が参加したかなりの大規模 War となりました。
・・・が、この戦い、私にとっては最悪なものとなったのでした・・・
開戦時、呉は戦場全体の東側からスタートする事になりました。
蜀は西側、魏は北側。 つまり、戦略マップの位置を模した形です。
作戦会議で決まった呉の作戦は・・・ 「漁夫の利」 作戦。
3勢力での戦いですから、最初は敵と戦わないようにして、残り2勢力が戦って疲弊した所を狙おうと言う、言わば正攻法とも言える作戦ですね。
まあ、おそらく他の国も同じ事を考えてたでしょうけど。(^^;
そして具体的には、開戦したら偵察役の武将だけ残して全軍で南下、戦場の南のはずれで機会をうかがおうという事になりました。
それぞれの武将が準備を行い、作戦 IRC で大将の発表が行われます。 そして・・・
全体 IRC : 「3、2、1・・・ 開戦!」
開戦後、さっそく呉の武将は偵察だけ残し、殿(孫策)を先頭に南下して行きます。
行軍は決して早いものではなく、歩くぐらいのスピードだったのですが・・・
T2A 特有の入り組んだ地形が進軍をさえぎり、だんだんと隊列は縦長になって行きます。
それでも最初のうちは問題なかったのですが・・・
途中、左が川、右が崖になっていて、その間に1マス分ぐらいしかないすごく細長い道を通って行く事になりました。
でも、1キャラ分ぐらいしかない道を20人以上が並んで通ろうとするのですから、もちろん途中で渋滞になってしまいます。
当時は Trammel はありませんでしたから全て Felucca のルールであり、当然他のキャラとぶつかるとスタミナが下がって、その状態だと他のキャラを乗り越えられません。
で、細い道で詰まってしまった呉軍を最後尾付近から見ていた私は、「こんなところで敵に襲われたら最悪だな〜〜」 なーんて考えていたら・・・
突然、川の向こう側に蜀の兵が!
や、やばいっ!! と、思った次の瞬間、その蜀の兵が叫ぶ!
「呉だ! 呉がいるぞーーー!!」
そしてその向こうから続々とやってくる蜀の兵士達。
だぁぁ〜〜〜、サイアクぅ〜〜!!
やってきた蜀兵はすかさず弓を構え、呉の将兵に向かって川越しに矢を乱射!
それでなくても渋滞している呉軍はもちろん大パニック!!
しかもみんなが慌てて前に出ようとするのでますます道が詰まってしまう。
これはマズイ! 早く進んでくれ〜! と思っていると・・・
殿がとんでもない一言を!
「止まれ。 集合。」
だぁぁ〜〜〜! こんな所で止まってどーするぅーー!
どうやら列の前の方では、後ろのこの状況が見えていないらしい。
前が止まってしまったので ますます進めなくなる呉の武将達!
「はやくいけー!」 「すすめー!」 と何人かが叫んでいるが、もちろん前列には届かない。
私は近くにいた周瑜と一緒に、やられている武将達に GH をかけていましたが、このまま動けないのではどうしようもない!
そこで最後尾付近の比較的動きやすい位置にいた私は赤ポーションを飲んで一旦隊列から離脱、近くに呉の兵がいなくて向こう岸に術が届く位置までダッシュしていき、そこから蜀の将兵に向かって FF を連発!
一気に燃え上がる対岸! さすがに蜀兵も一時後退。
その隙に周瑜が隊列の先頭に矢継ぎ早に連絡を入れる!
「後方が蜀に襲われています!」「渋滞して動けません!」「はやく前に進んで下さい!!」
報告を聞いた前方の部隊は再び前進を開始。 しかし渋滞は急には動かない。
一方、川岸で FF を出しまくっているヤツがいたら、当然目立つ事この上ない訳で・・・
蜀の武将達はすぐに私の方にターゲットを変更!
近くの対岸に一斉にやってきて、一気に弓を掃射!
ですが私はこの時、矢を受けても少しは持つだろうと考えていました。
なぜなら私はこの日、文官でありながらも防御力を重視し、ローブの下にプレートメイルを着こんでいたからです。
しかし、この考えがおもいっきり甘かった・・・
向こうもこの赤壁の大戦にそなえて強力なマジック弓などで武装しており、その一斉掃射はプレートメイルの装甲をあっさり貫通。
全身に矢を浴びた典韋のごとく、ガスガスと弓を食らった私は回復も逃げるヒマもなく、そのまま絶命してしまったのでした・・・
その後、隊列が動き出した呉は何とかこの場を脱出し、急場を凌ぎました。
そして、前進してきた魏と戦闘状態に入った蜀を後方から攻撃、挟撃される形になった蜀はそのまま壊滅し、その後 呉は部隊を2つに分けて魏とも戦闘を開始。
本隊と戦闘中に別働隊が魏の側面を襲う形で一気に魏を壊乱させ、蜀を倒した勢いもあって、そのままほとんど損害を出さずに魏も撃破、2国を連破する大勝利を飾ったのでした・・・
が、私はその時にはすでに死んでいて、戦いにも全く参加できませんでした・・・
しかも、私が死んだのは本格的な戦闘が始まる前の、さらに最後尾のはずれのほう。
私が死んでいる事自体知らない人も多く、「あれ? いつ死んだの?」 「何やってたの?」 とか言われる始末・・・
さらに、みんなが大勝利でものすごく盛り上がっていて喜んでいるのに、一人だけ参加できないので余計に悔しい!!
おまけに殿からも、「あんなところで死ぬんじゃない」とか言われて・・・
さすがに私も何か言いたくもなりましたが、みんなが喜んでるのに水を差すのも嫌なので、結局何も言えず。
で、大盛り上がりの呉を尻目に私は1人とっとと帰って、その晩はフテ寝したのでした・・・ (T-T
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さて、この赤壁の戦いの結果・・・
魏と蜀から隣接する領土を1つずつ獲得した呉は、一大勢力を築く事になります。
ブリタニア全体の東半分を呉が占め、残りを魏と蜀が2分するような状態となり、領土数で言うと 8:3:2。
かなりの差が出来て来ました。
しかし、UO三国志では領土が多い事に実質の利益はなかったため、領土が増えると逆に他国から攻められやすくなり、かえって辛くなったりもしていました。
また、「2連敗しなければ落城しない」という本拠地のルールのため、他国を完全に攻め落とすのはやはり困難を極めました。
本拠地での戦いとなると守る側も必死で防衛するので、それに2連勝と言うのはかなり辛かったのです。
そんなある日、陸遜が、君主 孫策にある献策をします・・・
「現在、呉は有利な状況にあるが、国が増えれば守るのは難しく、国を維持しながら他国を攻略していくのはますます困難である。 そこで、最終的な勝利を目指すには、目標を1国に絞り集中攻撃していくのが良いと思われる。
さしあたって、領土が近い魏を落とせれば、比較的戦力に劣る蜀に勝つことは容易となり、蜀との関係が悪化している魏の武将を引き入れる事も出来るかもしれない。
魏に攻撃を集中してはどうだろうか?」
つまり、魏を倒して天下を呉と蜀で2分して統一を目指そうと言う、「天下二分の計」です。
前々から本気で呉の勝利によるUO三国志の終結を考えていた孫策は、この提案を受け入れようとします。
ですが、私はこの案には反対でした。
戦略的な面では、魏に攻撃を集中すると言う事は、蜀の方は無視すると言う事であり、そのまま蜀に攻撃され領土を侵食されていくと、魏を攻め切れなかった場合に窮地に立たされるのは呉の方だからです。
ですが、本当の反対の理由は・・・
私が単に、このUO三国志を終わらせたくなかったからでした。
私は本当にこのUO三国志を楽しんでいました。
しかし、この戦略を取ると、成功すれば魏が滅び、失敗すれば呉がピンチになります。
いずれにせよ、UO三国志は終わりに向かう事になります・・・
もう1つ、この方法を取ると、攻められまくる魏は呉に反感を持ち、一方で無視されまくる蜀もさらに呉に不信感を持つ事は明白で、さらに三国の関係はギクシャクしてきます・・・
同じ考えを持つ人は他にもいましたし、私はいくつかの理由を出して、この「天下二分の計」に反対しました。
しかし、早くから 「結末がない事は、最悪の結末よりも恐ろしい」 と言うような事を話していた孫策は、天下二分の計を採る考えを変えることはありませんでした。
こうして、その後の呉の国は、この「天下二分の計」を方策として進めていく事になります。
それは呉の国と、そしてUO三国志全体に、良い意味でも悪い意味でも、影響を与えていく事になるのでした・・・
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つづく。
(決戦編に続きます)