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【Damion Schubert [2000/9/15] 】

2000年 9月 15日

Ultima Worlds Online: ORIGINはゲームなのでしょうか、それとも世界なのでしょうか?

これはその開発期間中、数多く投げかけられてきた質問です。初期の頃は、この基本的な質問について多大な議論が交わされました。長い討論の末、もしかしたら、本当にもしかしたらなのですが、3番目の選択肢があるのかもしれない、という結論に私達は達しました。

もしかするとそれは、そのどちらでもないのかもしれません。もしかするとORIGINは、コミュニティなのかもしれません。

私達がその結論に達したとき、全く意外な事実に思えました。とにかく大規模多人数ゲームのコミュニティという性質は、ゲームと世界、そのどちらの産物とも正反対であるデザインを見つけることを余儀なくされることがよくあるのです。ただ、しばらく経った後、それでも正しくないとの決断を私達は下しました。

大規模多人数であるRPGは、他に類の見ない動物なのです。それはゲーム、世界、そしてコミュニティでもありません。その代わりとしてそれは、その3つ全ての繊細なバランスを持ち合わせるのです。事実、ゲーム、コミュニティ、そして世界の混在する他に類の見ないゲームは大規模多人数ゲームの定義である、とあなたは示すことが出来るでしょう。

ひとたびその考え方に注意を向ければ、多くのデザイン上の決断が容易になります。その三角関係の1つだけを築き上げても、他の2つに損害を与えるようなデザイン上の決断は良いデザイン上の決断とは言えません。良いデザイン上の決断とはゲームにとって良く、コミュニティにとって良く、世界にとっても良いものなのです。良いデザインチームは、その3点全てが各決断に都合の良いものとなるよう努力を注いでいます。

さらに突き進める前に、私達はいくつか用語の定義をすべきでしょう。ゲームとは何なのか? 世界とは? コミュニティとは? 全く申し分のない定義などありませんが、やや大雑把な指標を確立することは出来ます。

「世界」を考察すると、その面白さは「物理学」、あるいは自然界の法則からのもの、そしてそれがどう相互作用するのかを必要とします。一般的な「世界」とは、「現実性」、「動的」、そして「過酷さ」のような表現で述べられ、「世界」のゲームを提唱する人間は、バランスは現実性の二の次であり、新たな行動がプレイヤー達、そしてスタッフにも歓喜と挫折の双方を提供するというプレイヤー達によって完全に築かれた環境を、よく心に描きます。ゲームはよく、プレイヤー達によって完全に築かれた環境であることが分かります。

「ゲーム」において、その重点は楽しみに代わるものです。体験以上に重きを置くものが手作業で築き上げることであり、それは「世界」の体験よりも強力な影響力があることを頻繁に意味します。その頻度は、システムの相互性に基づいたもの(村人を追い回すのに十分腹をすかせているドラゴンを待つ)よりも低く、それよりも予測でき、しかも強い影響を与える(ほぼ毎時間の、徹底したドラゴンの攻撃)ものです。「ゲーム」の理論を提唱する人間は、「楽しさ」、「くつろぎ」、「公正さ」、そして「強い影響力」のような表現を用います。

「コミュニティ」において、主要な焦点はプレイヤーに基づくものであり、そして彼らがどう相互影響をするかです。「コミュニティ」を述べるために使われている表現は、「社会」や「共同作業」のようなものを含みます。ほとんど二の次だと言ってもよいゲーム、そしてゲームのルールは、人々を拘束で混乱させないことであり、ゲーム構造がよりお互いを頼るようにさせるものであればなお良いのです。

それら3つはどうやって競い合えるのか、そしてどうやって逆らい合うのかを見極めるのに、そう長くはかかりません。「世界」で例を挙げると、いったんゲームが稼動すれば背景となる物語は中断され、プレイヤーが伝える物語に限定されます。一方「ゲーム」では、MMPRPGを運営しているスタッフはプレイヤー達が参加できる体験(イベント)を作成し、物語を前へと進めます。「コミュニティ」では、プレイヤー達は彼ら自身の相互作用と世間話を基に、彼ら自身の物語を持つことになるでしょうから、背景となる物語はほとんど二の次だと言ってもいいのかもしれません(さらにギルドメンバーが他のギルドメンバーと共に仕事をこなすことは、デザイナーである私達が思いつくものよりずっと愉快なものになることがよくあることにも目を向けてみましょう)。

それではデザイナーとして、私達は何をすればいいのでしょうか? 私達は各特色がゲームの3つの面全てを支持するよう、努力を注ぐ試みをします。例として「世界」では、デザイナーによって設置されたNPCがいない、ということが理論的には挙げられるでしょう(プレイヤー達が物を売る、あるいはプレイヤー所有の商人がその全てを処理することが出来るでしょう)。とは言え、彼らはクエストのために師や自動販売機として役目を果たし、ゲームにとって有益な目的を満たします。それでは、私達は何をすればいいのでしょうか?

さて、彼らはまた、新しいプレイヤー向けに低レベルの商品を売買し、さらにゲームについてより多くを学ぶ、完全に信用の出来る場所をも提供します。プレイヤーがより快適さを感じるようにすることは、コミュニティにとって明らかに良いことなのです。私達がもし、NPCは大部分が低レベルな装備を売り、高レベルな商品はプレイヤーを通じてのみ入手可能にすれば、結果的に「ゲーム」にとって良く、「コミュニティ」にとって良く、そして「世界」(プレイヤー経済)にとっても良い特色になります。私達のゲームをそのように活気付かせる物語となる背景、政治、そして緊張を描写するためにそれらNPCとの対話をも私達が提供するのであれば、それらNPCは世界を供給する点において、よりいっそう良いことなのです。私達の決断をこの重要な位置を占める三角関係に基礎付けることは、ゲームデザインをハードコアなゲーマー、社交的な人間、そして日曜ウォリアーへ最高のものを供給する場所へと向けるのに役立ちます。

もう1つの例です: 店と宿を夜間閉めることは、私達は簡単に出来るでしょう。これはゲーム部分の現実性(「世界」)にとって良いこととは言え、楽しくはなく(「ゲーム」)、特定の時間に店で待ち合わせをしたい人々には苛立たしい(「コミュニティ」)ものです。あるいは私達の基準をより良く適合させるよう特色へ努力を注ぐことも出来たでしょうが、3つの原則全てをより良く支援する特色へ、ほぼ確実に費やすべきであろう配慮とコード化をする時間が必要なのです。

もちろん、これは空説にしか過ぎません。大規模多人数ゲームというジャンルは今だ幼年期ですし、完璧な公式を見出すため、私達全員がこれらのゲームを作ることによって学ぶことが沢山あるのです。それでもなお、今だ赤子の歩みを行う産業の一部にいることはとても興奮させられることなのです。私達が学んできた教訓、そして築き上げてきた解決策を用い、ORIGINは沢山の人々を驚かすことになるだろうと私は思います。

Ubiq
Lead Designer
Ultima Worlds Online: Origin



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Translated by Kusa,shiro3,Himajin
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