ある、UO とその HP のお話 (後編)
(注釈)
私のプレイ回顧録、およびブリ観誕生までの経緯のお話の続きです。
まだこの頃の UO は、イベントなどは盛んではありませんでした。
今ほど頻繁なアップデートがあった訳でもなく、最近の UO と比べると、安定してはいますが、変化の乏しい時期だったと言えます。
キャラクターの成長が遅くインフレでもなかったため、イベントよりも、キャラクターを成長させるなどの RPG 本来の遊び方がメインの頃でもありました。

(2001年3〜6月記)

=ある、UOとそのHPのお話=

・その7、マルチプレイ
  (前回までのあらすじ : UOにもだんだん慣れて来ました)

1998年5月、本格的にUOを始めて1ヶ月半ほど経った頃、私のUOプレイに大きな変化が訪れます。 友人のUO参加です。

この友人は私が PC 買った当初にディアブロを持ってきてくれた友人で、結局彼もネットゲームはUOに行きついた訳ですね。
もちろん彼も最初に UO やった時は「わからーん!」を連発してましたが、私が色々教えたのと、彼は元々凝り性なので、みるみるうちに成長していきました。
私が成長の遅いアーチャーだったため、すぐにステータス的にも追いつかれ、その後は2人で冒険する機会が多くなりました。

2人で修行に行ったり、ブリ近辺の狩場に行ったり、そして揃ってPKに襲われたりしました。^^;

ダンジョンに行き始めたのもこの頃でした。
最初に私達が入ったダンジョンはデスパイス。
ブリティンから比較的近いのと、中にはネズミやスライムなどの弱い敵しか出ないと聞いていたからです。(*今とは出現モンスターが異なります)
ところが、確かに中はネズミやスライムばかりなのですが・・・ 数がハンパじゃない!
こんな敵を倒しても儲けにならないので、当時のデスパイスは足を踏み入れる人はほとんどなく、モンスターが常に沸きまくっていた場所だったのです!
そのため、なにも知らない私達は入って早々に大量の大ネズミに追いまわされ、そのままダンジョン中をぐるぐる回りながら逃げ回り、結果ダンジョン中のネズミが後を追いかけてくる事に・・・
「助けてー!」と思いながら逃げ回っていると、前方に他のプレイヤーが・・・
「助かった!?」と思ってそっちに走っていくと、彼の後方にも大量のネズミが・・・^^;
結局、3人で画面中を埋め尽くすほどのネズミの群れにボコボコにされ、それが私の初のダンジョン体験でした・・・

でも、これ以降、シェイムやロングなど、定番のダンジョンに通うようになり、狩りの効率も上がっていきます。(PK遭遇率も激増ですが)

家を買ったのもこの頃でした。 でも、初めて買った家は見事に詐欺でした・・・
家が欲しいと友人と一生懸命お金を貯めていたのですが、そんなある日、ブリティン銀行前で、「家を 3000G で売りまーす」と言っている人がいたのです!
もちろんアヤシサ大爆発なのですが、純粋無垢だった(?)私はすっかり信用して3000G 払い、家の鍵とルーンを貰います。
当時は家にセキュアやロックダウンなんてものはなかったため、鍵が全てであり、「家の鍵=家の所有者」でした。
ですから、家の鍵を盗られたら、完全にその家はアウトという時代でした。
で、ルーンで飛んだ先には確かに1件の家が。
鍵を使ってドアを開けてみると・・・  開く! 確かに家の鍵!
そして家の中に入り、「やったー、家だーー!」と喜んでいると、突然鍵をかけたはずの家のドアをガチャッと開けて1人の外人さんが入ってきます。

そしていきなり、「なんだおまえは! なぜこの家にいるんだ!」
もちろん私も 「おまえこそ誰だ!」
「俺はこの家を買った者だ!」
「俺もこの家を買った者だ!」
二人:「・・・・・・・・・」
そう、二人とも見事にやられてたんですねー。(^^;
おそらく、その家の鍵も盗品だったのでしょう。

しかし、その家は鉱山に近かったりしたので、しばらく友人と拠点として便利に使っていました。
その後もたまに、「なんでおまえがここにいるんだ!?」という外人さんがその後もやって来たりしましたが。

本当の自分の家を買ったのは、それからさらに1ヶ月後ぐらいです。
場所はダスタードの近く。 この場所にしたのは、単に採掘の出来る山の近くの土地がそこしか空いてなかったからです。

友人が家を買ったのもそれから数日後の事でした。
その日、「家の権利書買ったーー! これから建てに行くー!」と電話がかかってきました。
「おおー! やったじゃん!!」 とか言って、少し話した後、さっそく友人は家の土地探しに向かいました。
そして 30分後・・・ 友人から再び電話がかかってきます。
「家が建った・・・」 「おおーー! 良かったー!」 「全然良くない・・・」
なぜか家を建てたはずの友人の声は暗く沈んでいたのです。
まさか、PKかシーフにさっそく家の鍵を盗られたか!? とか思ったのですが、どうもそうでもないらしい。
事情がわからず、とりあえず友人が家を建てたと言う場所に行って見ると、なんと・・・

友人の家は、空を飛んでいたのです!!

正確には、隣の家の屋根の上に建ってしまったのです。^^;
当時、まだまだシステムにバグがあり、家を建てる時に特殊な条件にあてはまると、ごく稀に家が木の上などのヘンな場所に建つ事があったのです。

滅多に起こる事ではないのですが、友人は幸か不幸かその状況になってしまったのでした。
思わず爆笑してしまいましたが、友人は大深刻!

色々調べてみると、ブリティン銀行の屋根の上に上がる要領でテレポートで玄関先に飛べ、中に入れる事がわかったので、「カッコいいじゃん! ここに住めば!」 と言ったのですが、嫌がられました。(^^;

その後、GMを呼んで直してもらう事に。
友人が「GMに何て言えばいいの?」と言ったので、「My House in the SKY !」 とか答えたような気が・・・ ^^;
結局、友人の家は権利書に戻され、私のうちの近くに普通に建て直されました。

と、そんなこんなで2人とも家持ちになり、その後も2人で色々と UO をプレイしていきます。
今思うと、この頃が一番、私が UO を楽しんでいた時期かもしれません。

その後、どうなっていったのかは・・・ また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その8、Napa Valley な 夏
  (前回までのあらすじ : 友人が参加し、さらにUOにはまっていきました。)

1998年夏、UOを始めて数ヶ月が経っていましたが、私はまだ特定の「狩場」というものを持っていませんでした。
その日の気分であっち行ったり、こっち行ったり、ダンジョンに行ったり・・・
ですから、まだ狩りの効率も良いものではありませんでした。

そんなある日、ニフティのUO会議室で、「みなさんはどこで狩りをしてますか?」という質問が出ていました。
そしてある人が、「ダスタードで狩りをしています」と答えていました。

ダスタード! 超強力な竜の巣窟!
私は自宅が近いので何度か行った事はありましたが、もちろんまともに戦える訳がなく、当然のごとく即死していました。
当時、バードやテイマーという職業の人はほとんどいませんでした。
バードは扇動した事のあるモンスターが他のプレイヤーをターゲットすると犯罪者になってしまうスキルで、テイマーはドラゴンのコントロールが非常に難しく、まともに手に追える代物ではなかったのです。
そして、スキルの使用が全てステータスに影響していた当時、これらの職業はSTR(HP)が下がりまくり、ひ弱になるスキルだったため、趣味の人しかやっていなかったのです。
おかげでダスタードにいく人などほとんどおらず、そこはまともに狩りが出来るような場所ではありませんでした。

しかし、その人はいつもダスタードで稼いでいると言う・・・
興味のあった私は「どうやって戦ってるんですか?」と質問してみました。
すると、答えてくれたその方法は・・・
「竜を発見」>「Hiding」>「BS詠唱」>「BS出したらまたすぐHiding」 (^^;
当時は敵の目の前でも Hiding 出来たので、こんな事が出来たんですねー。

私のキャラは Hiding がマスタークラス、さらに自宅がダスタード近くだったので、偶然その方法をするには最良の状況でした。
で、何度か死んでコツをつかみ、以後、私の狩場はダスタードになります。
ただ、当時のダスタードは死傷率も今より遥かに高い場所でした。
モンスターの反応が今よりずっと早く、ブレスを吐く頻度も非常に高く、自動オールネームによる事前察知なんてものもなく、おまけに当時はドレイクのブレスもドラゴンと同じ威力があったのです。
Hiding の失敗は即、死に繋がっていました。
しかし、ダンジョン内に復活のアンクがあり、敵前 Hiding ができて他に人もいないので、ルーターもいないし死んでも復活やアイテム回収がラク。
私は以後、ここでかなり稼げるようになります。

おかげで一気に収入が増えた私は、生活にも余裕が出てきて、今までやりたくても余裕がなくて出来なかった色々なスキルに手を出す様になります。
アルケミーの修行を始め、中途ハンパだった魔法と鍛冶の修行を再開、さらに、大工・細工・毒塗りなど、色々なスキルをやるようになります。
そのため、ずっと1キャラだけでプレイしていたのですが、この頃から複数キャラを使い分けるようになりました。

今思うと、この頃のスキル修行がその後のブリ観の作成に役立ったような感じに思えます。


さらに、ベンダービジネスも始めるようになりました。
テントと店員の権利書を買い、商売向きの土地を探します。
テントとは簡易的な家のようなもので、値段が安く、アイテムを箱1個分しか保管できませんが、中に木や草があっても建てる事ができ、ベンダーも置けるので、昔は店舗と言えばこのテントが定番でした。
で、建てられる場所がないか適当にクリックしまくっていると、偶然ブリティン南の街道沿いの一等地にテントを建てることに成功!
さっそくベンダーを配置し商売を始めます。

私がやっていた商売はルーン屋でした。
これは 2ndキャラの魔法修行も兼ねており、各地の街やダンジョンのルーンを作って販売していました。
最初は売り上げも少なかったのですが、補充を欠かさない様にし、立地条件が良かった事もあって、徐々に売り上げは伸びて行きます。
そのうち1日で数十個のルーンが売れるようになっていきました。
私は元々、経営型シミュレーションゲームが好きでしたし、UOのショップは売れた品を実際に誰かが使ってくれているというのがあるのでやりがいもあって、ベンダー経営にハマりまくります。
専用の売り上げ帳みたいなのを作って、それに毎日売り上げや利益を書き込んで、それを見て一人で楽しんでたりしました。
ただ、そのうち補充が追いつかなくなり、当時は瞑想も導入されていなかったためルーン作成にも時間がかかって、だんだん補充に追われる日々になってしまいましたが・・・


また、イベントというものに興味を持ち始めたのもこの頃です。
ある日、今でも有名なPKKグループ「AWC」がPKのアジトを壊滅させた時の戦利品を超格安で販売するバザー、「しまうま市」というのを開くと言う話がありました。
さっそく私もそれに行ってみたのですが・・・

そこでは、多くの日本人プレイヤーが集まっており、談笑したりしながら、売り子の前には長い行列を作ったりしていました。
それは私が始めてみるイベントの光景で、それがゲーム上で行われている事に、
「うおー! やっぱりUOって凄いゲームだー!」と改めて感心しました。

大げさに言うと、「擬似世界」の1つの姿がそこにあった、という感じでしょうか・・・

他に Napa では、日本人初のプレイヤータウン「Lag Town」もあり、そこでも「夏祭り」や「秋祭り」などが開かれ、多くの人が訪れ賑わっていました。
これらが、日本人のプレイヤーイベントの元祖になると思います。
当時はGMイベントなんてほとんどありませんでしたから、これらの大規模イベントが起こる度に楽しみにして見に行っていました。
私はネットゲームは、殺伐とした物ではなく、もっとプレイヤー同士で楽しめるものだと思っていたため、私はこちらの方が UO らしいと考えていたのです。

私がかつて考えていたネットゲームの形・・・ それがここに来て、ようやく見えて来たような気がしていました。


そんな感じで、その年の夏はもう UO ざんまいな日々でした。
毎日テレホが待ち遠しい、というか、テレホじゃなくてもプレイして、電話代請求が恐ろしい、そんな日々でした。^^;

しかし・・・
夏が過ぎ、秋になった頃、私のUOプレイに次々と大きな変化が訪れます。
私的にも UO 的にも、次々訪れるその変化に、私のUOのプレイスタイルは全く別のものへと変わって行きます・・・

これから先、何が起こってどのように変わって行ったのかは・・・ また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その9、Britannia 観光案内所
 (前回のあらすじ : 友人と一緒にプレイして、ゲームも軌道に乗っていましたが・・・)

1998年春にUOを始め、夏には UO にハマリまくっていた私でしたが、はじめて半年ほど経った秋以降、私の UO プレイには次々と大きな変化が訪れます。

1998年9月、まず最初に起こったのは友人のUOからの脱退でした。
仕事の都合で移転する事になった友人は、移転先ではネットに繋げられないため、そのままUOを引退する事になったのです。
それは突然の出来事でした。

私は彼といつも一緒にプレイしていた訳ではありませんが、彼がいなくなってしまった事により、UOに張り合いというものがなくなってしまいました。
スキルを上げても、高価なアイテムを手に入れても、それを自慢する相手も競う相手もいなくなってしまったのです。
そしてちょうどその頃、ベンダービジネスも規模を縮小して一段落ついており、主要スキルも軒並み90台、家もあるしお金やアイテムも余るほど持っていたため、UOに目的というものがなくなってしまったのです。
この頃、他に面白いPCのゲームがあったら、UOを辞めていたかもしれません・・・
その後、私はUOを目的を探しながらプレイするようになります。

そんなある日、私は森の中でまだ見た事のない廃墟のような建物を発見します。
それ以前にも、廃屋や、珍しい地形などをいくつか見つけた事がありました。
そしてそれを見た時、私は思いました。
「そうだ、まだUOには行った事のない場所、見た事のない場所がたくさんある・・・ こうした名所や旧跡を探して、旅をしてみよう・・・」
それから私は、ダウンロードしていたUOAMの全体マップを拡大してよーく調べ、何かありそうな場所にはチェックをし、それを1つずつまわりながら珍しい建物などのスクリーンショットを撮っていきました。

それから数日後・・・ 私は本屋で1冊の本を見つけます。
それは、「Windows 98 で作るわたしのホームページ」 という本でした。
私はそれまで、ホームページを作るには難しい HTML という命令語をマスターするか、数万円もする高価なホームページ作成ソフトを使わないと、作れないものだと思っていました。
しかしその本には、Windows に付属している Front Page Express というHP作成ソフトを使って初心者でもHPが作れる方法が、すごく丁寧に解説されていたのです。
さっそく私はこの本を買って、家で使い方を試してみます。
そして、Front Page を使えばワープロで文章を作るのと同じ様な感じでホームページも作れる事を知りました。

その後、UOの名所巡りも、チェックしていた所は全て廻り終え、スクリーンショットもだいぶ貯まりました。
そして私は思いました。
「せっかくスクリーンショットを集めたんだ。 これを公開したホームページを作ろう・・・」

そして完成したのが、UOのホームページ 「Britannia 観光案内所」 です。

だから最初の Britannia 観光案内所は、本当に文字通り、観光案内だけでした。
今のブリ観の「観光案内所」のコーナーからワールドマップのダウンロードなどを抜いたもの、それがそのまんま、当時のホームページです。

当初は訪れる人もいませんでしたが、Infoseek などの検索エンジンにページを登録してから、少しずつカウンターも増えていきます。
「やった、今日は10人も見てくれた!」
「おおっ! 今日は20人も人が来たみたいだ!」
とか、カウンターが少しづつ増えていくのがすごく楽しみでした。
始めて100になった時はもう感動しました。
まあ、その3分の1ぐらいは、自分で踏んだ分ですけどね。^^;;

こうして、私はホームページの作成にもハマっていくようになります。
私にとってのUOの目的に、「HPの作成」が加わった訳です。


その後、HPを作って1ヶ月も経たない頃、さらにUOに大きな出来事が起こりました。
「The 2nd Age(T2A)」の発売、そして、日本サーバーの誕生です。

それからどうなって行くのかは・・・ また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その10、飛鳥へ・・・
 (前回のあらすじ : 一時的に目的をなくした私はブリ観を作ったのでした)

1998年 9月、UOで大きな発表が行われました。
新しいUOバージョン「The 2nd Age」の発売です!
それは UO が発売されて約1年、初の大規模なアップデートでした。
しかし日本人プレイヤーにとっては、それ以上に大きなニュースが発表されます。

それは・・・ 日本サーバーの誕生です!!

それまで日本人プレイヤーは遠くアメリカのサーバーまで接続していて、常に回線問題に悩まされていました。
だから海外線に強い IIJ4U や AT&T など特定のプロバイダがもてはやされていたりもしました。
しかし、日本にサーバーが出来れば回線の問題もプロバイダの問題も一気に改善されます!
それはまさに当時の日本人プレイヤーにとって夢のような出来事でした。
私は地方在住でモデムも当時 33.6k だったので、特に回線問題は重要でした。
そのため日本サーバーの発表と同時に、私は日本サーバーへの移住を決意します。
こうして、半年近くに渡った私の Napa での冒険は、終わりを告げたのです・・・

しかし、最後に Napa でやる事がありました。
作ったばかりのホームページ「Britannia 観光案内所」、このページは「観光案内所」と銘打っている以上、ダンジョンの案内も欲しい所です。
そこでダンジョンの探索とショットの撮影が必要な訳ですが、新サーバーではキャラが弱くなるし、ダンジョン探索できるには時間がかかります。
そこで、移住前にダンジョン案内の作成を行う事にしました。

私のキャラはダスタードでの戦いのおかげで Hiding が非常に高くなっており、その使い方や失敗時の対処法も理解出来ていたため、敵前 Hidingが可能な当時、各ダンジョンを探索する事はあまり難しくはありませんでした。
そしてダンジョンを1つ1つ巡りながらページを作成していき、十数日後、ダンジョンの案内のコーナー「冒険者案内所」が完成します。

ダンジョンの案内は見たいと思う人が多かったのか、それを設置してからはアクセス数はどんどん伸びて行きました。
またこの頃、有名ページの Kenji さんの「Ultima Online の部屋」や、「うるうる」さんからリンクして頂き、さらにアクセス数はアップ。
1日で100以上のアクセスがあるようになっていきます。
ページにショボイながらも BBS や メール送信なども設置し、この頃からやっとこのサイトがホームページらしくなっていきました。

そして 9月末日、大規模なオープニングイベントが実施された後・・・
ついに日本サーバーが正式オープンされました!

最初にオープンした日本のシャードは Yamato と Asuka です。
で、私は Asuka に移住する事に決めていました。
なぜなら当時、「Yamato は関東、Asuka は関西にサーバーが設置される」という根も葉もない噂が広がっていて、それをすっかり信じていたからです。^^;
で、「うちは関西に近いから Asuka にしよう」と思った訳ですが・・・
実際には、どのサーバーも同じ場所に設置されていたんですけどね。^^;

こうして、私の日本シャードでの活動が始まったのですが・・・
それがどうなって行ったのかは・・・ また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その11、新しい世界
(前回のあらすじ : ブリ観作成、日本シャード誕生、そして Asuka へ・・・)

1998年 9月末日、いよいよ日本シャード Asuka と Yamato が始動しました!
私は「Asuka が関西に近い」というデマをすっかり信じ込んで Napa から Asuka に移住します。

この頃、UOは一気に日本的になりました。
日本シャードが登場したのはもちろんの事、ユニコードも登場、日本語が使用可能になったからです!
日本サーバーのオープニングイベントの時、UOの内部情報がどこからか漏れ、まだテスト段階だったユニコードが一気に使用されるようになります。
おかげでブリティンバンク前では、みんなが日本語で会話をし始めます。
それはかつてのUOでは全く考えられなかった事で、UOが身近なものになった事を感じざるを得ませんでした。


さて、今も昔も新しいシャードでやる事といえば・・・ 家! マイホームです!!
私も Asuka 移住後、さっそく家建築に向かって資金稼ぎに奔走します。
が、その目標はわずか2日目にして変更になってしまいます・・・
理由は・・・ スキルバブル!

スキルバブルとは、新しいシャードの最初の頃の間、全てのスキルが凄く上がりやすくなっていた時期の事です。
昔のUOには、人の使っているスキルほど上がりにくく、逆に誰も使っていないようなスキルは上がりやすくなるという仕様がありました。
しかし、新しいシャードは当然誰もいない状態からスタートしますから、スキルも全て使われていない状態から始まります。
つまり・・・ 全てのスキルが上がりやすくなっていたのです!

私は最初の日は、資金集めに必死でそれに気付く事はありませんでした。
しかし2日目、なけなしのお金で魔法と秘薬を買って、街道で偶然リッチに襲われGHを唱えた時、異変に気付きます。
「おかしい・・・ Magery 50台なのに、GH を使うたびにスキルが上がる・・・」
そして、使用頻度によるスキル上昇率の変化の仕様を思いだし、スキルバブルに気付いたのです。
それからは、家そっちのけでここぞとばかりにスキル修行に没頭しました。^^;
稼いだお金は全て秘薬に費やし、魔法を覚え、やってみたかったバードの修行をし、メイン武器である弓の修行をします。
おかげで3日後には、魔法、音楽、扇動、弓、戦術、ハイドが90近くに上がりました。
そして Napa でやっていたようにダスタードに行ってバブリーに稼ぎ、また3日後には家の購入に成功します。
が・・・ すでにこの頃、スタートして1週間が経過していたので、一等地と呼ばれる場所はさすがに全て埋まっていました。
結局私の家は、ブリティンのかなり南の郊外に建つ事になってしまいましたが・・・
でも、目標も達成され、キャラも強くなり、効率の良いスタートではありました。
その後、スキルバブルも終わり、また地道に稼ぐ生活が始まります。
(*現在は一般のスキル使用率がスキル上昇率に影響することはなくなったため、スキルバブルもありません)


それから約1ヶ月後、またしても UO には大きな変化が訪れます。
それは、「The 2nd Age」、T2A の発売です!

UO 始めての大規模アップデート、新しい世界とダンジョンとモンスター!
さらに UO が5000円近くの低価格に値下げされ、日本語のサポートと日本シャードにより日本人プレイヤーも一気に増加し始めました。
T2A 以後、事実上、日本のUOは第2期に入ったと言えます。

で、私がやっているホームページは「ブリタニア観光案内所」です。
「観光案内」と銘打っている以上・・・ 新世界の案内を作らなくてどーする!?

さっそく私は T2A 購入と同時に新世界 Lost Land に行き、予め手に入れていたマップを見ながら新世界を巡りまくります。
そして、名所のスクリーンショットを取りまくり、注目の場所をチェックして、気合を入れていち早く作ったページが 「Lost Land 観光案内所」 です。

さすがに新世界追加直後だけあって、このコーナーは注目を受けました。
また、この頃からトップページにも簡単な情報を記載し始めていて、頻繁に更新するようにもなっていました。
まだパッチ情報などを翻訳する事はなく、情報ページと呼べる程のものでもありませんでしたが、当時は UO の情報を伝えるページ自体が少なかったので、この頃から一気にアクセス数は増えていきます。
また、ソフトバンクの公式ガイドブックに掲載されたのもこの頃が始めてです。
まさかうちのページが掲載されるとは思っていなくて、それを見た友人がビックリして電話をかけて来たりして、すごく管理人冥利に尽きました。
本にうちのページが載っているのを見た時は、やはり嬉しかったですねー。


ちなみに、Lost Land 観光案内所については、今だから言える話があります・・・

Lost Land 観光案内所の中で、ダンジョン案内のファイア(lava)ダンジョンだけは公開が遅れました。
これは、実はページ自体は早いうちから出来ていたのですが・・・
故意に遅らせたのです。
なぜかというと、奥に黒メイジ部屋があったから。
そこで私は資金稼ぎをしていたのです。^^;

ファイアダンジョンはネズミやスライムなど稼げない敵が多い割に非常に危険な場所で、そんな所を奥まで見に行く人などいませんでした。
が、私はHP作成のために無理やり奥まで見に行って、そこで黒メイジ部屋を発見します。
当時、黒メイジが出るのは世界でそこだけでした。
まだシャードが始動して間もなく、資金的に辛かった私はさっそくそこで稼ぎを開始、この場所を公開したのは噂が BBS で流れ、人が来るようになってからでした。
うーん、今だから言えるセコイ話ですね。(^^;


また、この頃、今でも覚えているある1人の人と出会います。
その人はこの黒メイジ部屋に早い段階から来ていた数少ない人の1人で、すごく良い人で、ピンチになった人にはすぐヒールをかけて助けたり、死んだ人には必ずレスをしたり、ゲートを出してあげたりしていて、私も何度か助けてもらいました。
ある日、ブリティン南の商店街で偶然出会って、その時いた友人と3人で一緒にベンダー巡りをしたりもしました。

しかし、実はその人は・・・ Asuka でもかなり有名な PK の別キャラだったのです。
その人とその PK の名前は関連していたので、後日噂を聞いた時、すぐにそれがわかりました。
私はそれまで UO内でのプレイヤーの行動は、必ずリアルのプレイヤーの人格が少なからず反映されていると思っていたので、彼女の存在と行動は、私にとって色々と考えさせられる出来事でした・・・


そんなこんながあって・・・ (?)
Asuka での私のUOのプレイも軌道に乗っていきます。

そしてさらに、私にとってのUOでの変化は続いていきます。
友人が復帰し、2階建て建築を目指し、そして・・・

それからどうなったかは、また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その12、終わりの始まり
 (前回のあらすじ : Napa から Asuka へと移住、そして・・・)

1998年 11月、Asuka に移住して1ヶ月ほどたったある日、前に UO を一緒にやっていた友人が、突然復帰してきました。
9月に仕事で転勤になり、転勤先の会社の寮ではネットに繋げられなかったためUO も辞めていたのですが、転勤して2ヶ月ほどたち生活も落ちついたため、彼は実費で部屋に電話線をひいてしまい、ネットに復帰してきたのです。

当然友人も Asuka に移住し、そして再び2人でプレイしていく事になりました。
で、新しいシャードで UO を始めたら、当然のように欲しくなるのが・・・ 家!
もちろん友人もまず家を建てようとします。
しかしその時、UO では家を建てることが出来ませんでした。
家の新建築システム導入のため、全シャードに建築規制がしかれていたのです。

新建築システムとは、建築基準の変更や、家のオーナー権や鍵の付け替えの導入など、つまり現在の家のシステムの事です。
それ以前はオーナー権も鍵の付け替えもなく、ロックダウンもなかったので、鍵を取られたら中のものは全て持ち去られる上に、家自体も使い物にならなくなっていました。

新しい家のシステム導入にあたって、簡易建築物だったテントの廃止と、家のオーナー権の立候補、そしてシステムのテストのために一定期間 家を建てることが禁止されました。
友人はちょうどそのタイミングで UO に復帰したため、土地があっても家を建てられなかったのです。

もちろん、他の人も同様に家を建てる事は出来ません。
そして、日本シャードはまだ始動して間もなかったため土地がまだまだ空いており、テントの廃止によってさらに土地が空いたので、かなり多くの土地が残っていました。
そこで私達は2人で話し合い、ある計画を立てます。
それは・・・ 「2階建て建築計画!」
夢の2階建てを建てて、共同で住もう! という計画でした。

当時は今より家の種類が少なかったので、タワーと城・砦を除くと、2階建てが最も大きな建物でした。
しかし、当時の UO は今の様にインフレが進んでいなかったので、2階建ての建築資金である 20万G はかなりの大金でした。
でも建築解禁までまだ1ヶ月あったので、2人でがんばれば貯める事も不可能ではないはず!
こう思い、2人は夢の2階建てマイホームに向かって資金調達を始めるのでした。


友人は狩りで、私は大工仕事で、地道に日々お金を稼ぎます。
私が大工でお金を稼いでいたのは、スキルアップの事もありましたが、別の理由もありました。
私がメインにしていた狩場であるダスタードが、パッチ変更により稼げる場所ではなくなっていたからです。

モンスターのAIの改良の副作用でモンスターの反応が大幅に鈍くなり、ドラゴンのブレスを吐く確率も大きく低下、ドレイクのブレスの威力も半分にされ、ダスタード自体が危険な場所ではなくなったのです。
そこにスキルマネジメントが導入され、スキルとステータスの調整がそれまでよりずっと容易になったため、テイマーやバードがスキルを使っても STR が下がらなくなってこれらの職業が急増、彼らが大勢ダスタードに向かったため、ダスタードは人で溢れる様になっていたのです。

インフレではなかった当時、狩りで得られる収入は1時間でかなり良くても 3000G ほどだったので、生産でも稼げる金額はそう大きく違いませんでした。
そのため私は、人と争ってモンスターを狙うより、確実に仕事で収入を得ようとしたのです。
建築解禁まで1ヶ月、という期限もありましたから。

そして、毎日互いの稼ぎを確認しながら、目標の 20万G 目指してお金を稼ぎます。
やはり目標があるとやりがいも出るというもの。
地道な大工仕事も、確実に目標に向かってお金が貯まっていくのを見ながらやっていると、あまり苦ではなくなります。
2人で一生懸命お金を貯めつつ時は過ぎ、そして、1998年の年の瀬、クリスマスも間近の12月23日、運命の時がやってきたのです・・・

稼いだお金は2人合わせて 25万G。
2階建てを買ってもまだ余る金額が集まりました。
そこで、2階建ての他にショップ用のスモールハウスも買う事に決めます。
しかし、その建築解禁を待ち望んでいたのは私達だけではありません。
他の人もこの1ヶ月にお金を貯めて、マイホームやギルドハウスを夢見ています。
建築合戦に勝利すべく、私達は綿密に計画を立て、その日を迎えたのでした・・・


この日に行われたUO最初の家建築競争、その模様は「Asuka 土地争奪戦!」をご覧下さい。

そして、この後起こった事件については、「アカウントハック事件」をご覧下さい。


この事件によって、私にとっての UO は、全く違うものになりました。
私の UO の一時代が、完全に終わりを迎えてしまったのです・・・

それからのお話は・・・   また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その13、ウルティマ・オフライン
 (前回のあらすじ : 私は一瞬にして、ほとんどの財産を失ったのでした・・・)

1998年年末の建築競争、そして1999年元旦に起こったアカウントハック。
それを期に、私の UO は全く変わり果ててしまいました・・・

1ヶ月以上がんばってお金を貯めた2階建てを、顔も知らないネット犯罪者によって奪われ、引っ越しのために全財産をその家に置いていた私は、秘薬1個さえないような状態になってしまいました・・・

UOの引退を決め、ブリ観も閉鎖の報告を出し、完全に辞める事を決めたのですが、ブリ観の掲示板やメールなどで色々な励ましを受け、結局数日後、再び UO を続ける事を決めます。
しかしこれは UO に未練があるというよりも、ブリ観に未練があるという感じで、UO はともかく ホームページ作りはまだ楽しんでいる最中だったので、こちらを続けていきたいという方が大きい感じでした。
だから、ブリ観がなかったらとっくの昔に私は UO を辞めていたでしょうね・・・
あの時励ましのメッセージを送ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。 <(_ _)>

こうして UO を続けることになったのですが、私の UO プレイはこの日を境に変わってしまいました。
お金を貯めても、アイテムを集めても、「ああ、前はもっとたくさんお金があったのに」、「ああ、前はこんなアイテム山ほどあったのに・・・」という感じで、全くお金やアイテムに執着がなくなってしまったのです。
これ以後、私は UO のお金やアイテムは必要な時に必要な分だけあればいい、という感じになり、そのため積極的に狩りに行く事もなくなりました。

そして何より納得いかなかったのが、こうして私の財産を奪ったネット犯罪者は、何の罪もリスクも受けず、それらの財産を使いながら今ものうのうと暮らしているだろうという事でした。
貧乏な状況を見る度にそれを思いだし、私のプレイのやる気は削がれました。

さらにこの頃、自分のキャラクターや戦法も使えないものになっていたのです。
私は元々 Hiding をメインにして戦っていましたが、パッチで敵の近くではハイドできなくなりました。
そこでかわりにステルスを入れて戦うようになりましたが、またパッチがあたってステルスの移動距離が短くされ、それも使えなくなります。
加えて瞑想の導入、ハイド中の包帯不可、EI の魔法攻撃力への影響なども導入され、パッチに合わせてキャラスキルを変えていても、その最中にまた次々パッチと当たり、思っていた戦い方も出来ず、結局パッチを追っているうちにスキル構成はメチャクチャになり、まともに使い物にならない状態になってしまったのです。
この頻繁な UO の変化は T2A に入ってからで、それまでの UO アップデートのペースとは全く違うものでした。

財産をなくし、やる気を削がれ、お金やアイテムへの執着心もなくなり、キャラも戦法も使えなくなった私は、UOのアクティブはどんどん下がっていきました。
まだ懲りずにがんばっていた友人も、翌月に会社を変わった影響でまた UO がプレイできなくなり引退。 ますますやる気がなくなります。

こうして私は、まだ唯一残っていた元ショップ用だった家のリフレッシュの時ぐらいしか UO に入らなくなり、完全に UO にアクティブではなくなってしまったのです・・・


しかしその一方で、逆にブリ観の方は充実していきました。
UO をプレイする時間がなくなった分、ホームページを更新する時間が長くなったんですね。
私が UO をやらなくなるほど、皮肉にも UO のホームページであるブリ観はどんどんコーナーが増えていきました・・・

この頃、すでにブリ観は1日のヒット数が 1000 近くになっていました。
ただ、まだ今のような総合情報サイトという訳ではなく、観光案内などのコーナーの方がメインのサイトでした。
パッチの翻訳情報なども載せてはいなかったし、当時の UO はそんなにパッチ更新や新情報の発表が頻繁ではなかったのです。
ニュースなどもたまに載せたりしていまたが、それは UO の中で実際に見たり、UOSSで見かけたちょっとした話題についてのものがメインでした。

情報ページの様になったのは、1999年1月のある日の事です。
当時
私は新パッチ情報は うるうる さんの所と、kenji さんの所で確認していました。
(まだ当時は NICOLE さんのページの事は知らなかった)
しかしある日、新パッチがあたったのにこの両ページで新パッチの情報が更新されない事がありました。 どうやら管理人さんがリアルで忙しかったようです。
そしてそのまま数日が過ぎたのですが、UOのホームページをやってる手前もあり、どんなパッチがあたったのかすごく気になります。
そこで、当時の私のパソコン(PC9821)には翻訳ソフトがプリインストールされていたので、それを使ってパッチ情報をなんとか翻訳し、そしてせっかく翻訳したのだからとそれをブリ観のトップページ載せたのです。
すると・・・ ホームページのカウンターがフルスロットルで上昇!(^^;
そう、他のみんなもそれが気になっていたんですね・・・

で、それ以後、私は新パッチの情報が出たらそれも翻訳してサイトに掲載する様になり、以後ブリ観は情報サイトのような道を歩み始めます・・・


でも、まだまだこの頃はサイトのメインは各コーナーの方でした。
新パッチ情報などの掲載以後、アクセス数は順調に伸びていきましたが、まだコーナーは「Britannia 観光案内所」の名前通り観光案内しかなかったので、何か別のホームページの目玉となるコーナーを追加しようと考えました。

その1つとして考えていたのが、「初心者の館」です。
昔の UO にはまともな説明書は付いてなく、表示も全て英語で、チュートリアルなんてものも、日本公式サイトなんてものもありませんでした。
T2A のパッケージにはかなり詳細な説明書が付きましたが、内容が多くて初心者にはやはりわかり辛く、そしてそもそもUO自体が洋ゲー特有の難しさを持っており、決して日本人がとっつき易いものではありませんでした。

自分自身、最初の頃はかなり苦労した覚えがあるので、まずは初心者でももっと早いうちから UO が理解でき、それを楽しめるようなページを作りたいというのがありました。
また、当時は UO が「PK のある洋ゲー」だったこともあってか、UOのホームページはCOOL系、言い替えると不気味系やアングラ系などの暗いデザインが多く、初心者がとっつき易い雰囲気がなかったので、そういうのがある UO サイトを作りたい、というのもあったのです。

しかし、この初心者の館の作成は遅々として進まず、いつ出来るのか先がまったく見えませんでした。
初心者の館自体はかなり早いうちから作成し始めていたのですが、作っている最中に「あれも入れたい」、「これも入れたい」、「これも書いときたい」とかいうのが次々出てきて、全然完成の目処が立たなかったのです。
もちろん、まだホームページ作りになれていなかったというのもあります。


そのため、初心者の館はひとまず置いといて、他に目玉になるページを作ろうと考えました。

そして思ったのは・・・ 他のページにないものを、という事でした。
当時、UO のホームページの御三家と言えば、うるうる、kenji さんのページ、NICOLE さんのページの3つでした。
UO の基本的な情報はこの3つのページを見ればほぼ網羅でき、特にデータ系に関しては うるうる をチェックすればほとんどわかりました。
そのため、これらのページにあるものを作ってもその必要性はない訳で、これらのページになく、それでいてみんなが見たがるものを・・・ と考えました。

で、思いついたのが、「スキルのデータを解説しているページはあるけど、そのスキルを実際に使えるようになる方法、その修行法を解説をしているページはない」という事でした。
当時、スキルの上昇率については知られていない事が多く、例えば、難易度制と非難易度制の違いもあまり知られていなくて、「走り続けたら DEX が上がる」なんていうデマまでかなり広まっていました。

そこで、今まで自分がプレイしてきた実体験を元に、UOSS などのデータを加味して、スキルの修行方法をメインとしたページを作成したのです。
それが、「Britannia 職業訓練所」でした。

だから初期の職業訓練所にはスキルの説明はちょっとしかなくて、その修行法の解説がメインで、ページも今みたいにあんなに長くはありませんでした。
職業訓練所が今の様になったのは、パッチなどが当たるたびにその内容を少しずつ追加していったからで、長い年月の末にあんなでかいページになったのです。

でも、初期の職業訓練所でも、当時はその訓練法がまだ知られていない状態だったので、結構反響はありました。
結果、多くの多くのプレイヤーが見に来てくれるようになって、さらにホームページの作成が面白くなっていきます。

その後、目処が立っていなかった「初心者の館」もようやく完成。
こうしてブリ観の2大コーナーができ、その後、初心者に PK に襲われた時の「Open Backpack > Cast Recall」のマクロを教えたくて「警備保障」を作り、Napa でやっていたルーンショップ経験を利用して「商工会議所」を作り、日本シャードのオープニングイベントの画像を紹介したくて「イベント紹介所」を作り、コーナーを作るほどの内容ではないけど書いておきたい事柄をまとめておく「豆知識」を作って、ブリ観の現在のスタイルが完成したのです。

こうして、自分が UO をやらなくなっている一方で、ブリ観はどんどん発展していったのです。
当時はホームページ作りが特に楽しかった時期なのですが、きっとブリ観を見ていた人は、まさかそれを作っている管理人が UO をほとんどやっていないなんて、思っていなかった事でしょうね・・・
それはある意味、とても皮肉な状況だったのかもしれません・・・

さて、この後どうなっていったのかは・・・ また、いつか。

(あとがき)
この日記の最後は、「また、いつか」で終わっています。
実はまだこの日記は終わってないんですね。 忘れてましたけど。^^;;

でも、私が UO をプレイするきっかけと、そしてブリ観が出来た経緯はこの通りです。
その後は・・・ 私はトレジャーハントの導入で、また UO に夢中になります。
実は私は「インディージョーンズ 失われたアーク」が大好きでして、トレジャーハントの仕様が発表された時点で「これだぁー!」という感じになり ^^; 、その後はブリ観も「トレジャーハンターズインフォメーション」のコーナーの作成とデータ収拾に集中しました。
今でこそ発掘方法も埋蔵場所も知れているトレジャーハントですが、そのデータは多くのハンター達によって少しずつ解明されていったものなのです。
そしてそれと平行して、私は Asuka の War ギルド企画 「UO三国志」 に参加して、その後はそれをメインとしつつ、UO を続けていく事になります。
「UO三国志」のお話については、また別のページをご覧下さい。