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■【Britannia PART THREE: INDOMITABLE CONSCIENCE(不屈なる良心)】■(詳細Ver)
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ブリタニア編 第三部:INDOMITABLE CONSCIENCE

その部屋は、ことブリタニア城の中でも特に華美な部屋だった。贅沢に彫刻されたパネル画と色彩やかな絵画は、各時代の職人芸について語りかけるようだった。高価なタペストリーの中には古代の物語が織りこまれていた。銀と水晶の輝きが部屋中に散らばり、大きな暖炉で燃え立つ炎を受けてはきらめいていた。

部屋の中央では、高価な黒絹のチュニックを着たブラックソーンが腰を下ろしていた。金の飾りが炎の光を反射していた。指を顔の前に立てて、微かな笑みも浮かべずに呟いた。「素敵な牢獄をあつらえたね、ブリティッシュ」

「私の寝室を牢獄と呼ぶのかい?」 ロード=ブリティッシュは居間からの戸口に立っていた。白い魔術師の法衣をくるぶしにまで垂らしている。その腕の中では大きな箱が眠っていた。「しばらく王の居室で生活できる、と喜んでくれると思ったんだが」

ブラックソーンは友人をじっと見詰めかえした。瞳が黒曜石のように光った。

ブリティッシュは眉根を寄せた。「私に与えられるのはそれで全部だ」

「まだある」

「何か見落としがあったか?」 眉尾が開かれた。「ああ、魔素マナか。本当のところ、君に魔術を使ってもよいと言えたらいいんだがね。その勇気はないな」

「汚らわしいデーモンのように束縛。私のことをそう考えているのか?」

「違う違う。君はデーモンの集団よりも危険なんだよ。これ以上何かを与えれば、君を捕らえておくことはできないだろう、友よ」 額にしわを寄せる。「どうやって人間の周りに束縛の魔方陣を作り出したのか、聞きたくないか? たぶん、これが初の試みだよ、私の知るかぎりではね。塔全体を囲んで描くのも簡単じゃなかったよ」

ブラックソーンは首を振った。「知っている。『古写本』にあった」

「レンズをのぞきこんだときに呪文を見たのか?」

ブラックソーンは視線を背けなかった。「チェスだろう? それよりも」

ブリティッシュは腕の下にある箱をちらりと見やった。「勝負を続けるほうがいいだろうと思ったんでね。そう、状況を活かしてベストを尽してくれ」

「ずいぶんと心をお痛めのようだ」

ブリティッシュは頷いた。「君から覚えたものだからね。さあやろう、ブラックソーン。君は勝負の間、罪悪感で私を拷問にかけることもできるぞ」

ブラックソーンは手を広げた。「ここは君の牢獄だ。拷問を選ぶのは君だよ」

広げられた箱がチェス台の上に置かれた。ブリティッシュは駒を並べ始めた。そのまま、顔を上げずに言った。「そうだ、昨晩の君は徳に従った行動をとったな。ニスタルはいつだって謙遜さに問題を抱えているようだ」

ブラックソーンが微妙に笑いを浮かべた。「彼はそれをどう身につけている?」

「塀の中の猫のように」

一瞬の沈黙の後、二人の男は柔らかな笑い声を楽しんだ。


勝負は静かなものだった。二人はほとんど何も話さなかった。ブリティッシュが部屋を出るために扉を開いたとき、彼らは目を合わせることを避けた。

扉が音を立てて閉じたとき、ブラックソーンは肺にたまっていた緊張感を吐き出した。鍵がかけられる音がした。足音が遠くへ消えた後、ブラックソーンは指を掲げた。やがて、小さな、白い蜘蛛が現れた。息が、埃サイズの生物が吹き飛ばされないように、顎を下げて口を開いた。

「そのままで、小さな兵士よ」

彼は目を閉じた。それから長い間、部屋の中では炎以外に動くものはまったくなかった。ブラックソーンの呼吸はだんだんと深まっていった。炎が、落ちついた彼の表情を照らしつけた。

彼の体に痙攣が走った。彼は椅子に身をうずめ、激しく歯軋りした。痛みに顔を歪めた。拳を固く握り締めたが、それでも蜘蛛が倒れてしまわないように指で支えつづけた。彼の口から、小さな愚痴とも唸りともとれる声が漏れ出した。

両眼が開かれた。黒い瞳の表面は真珠のような光沢を放っていた。そこから、涙が浮かぶように、黒い煙が巻き上がって蜘蛛を包み込み、蜘蛛は漂う煙の中でもがき、脚踏みした。最後にもう一度、ブラックソーンは強くその目を閉じた。

「慎重に行け」と、張り詰めた声で囁いた。「いくつもの世界の重みがおまえの八本脚にかかっているんだ」

身を屈めたブラックソーンによって床に放された蜘蛛は、扉に向かってのろのろと進んでいった。

ブリティッシュの豪勢な寝室の中、ブラックソーンは椅子に崩れこんだ。皮膚は灰色になり、瞳は腫れて充血し、短く刈りこまれた髪はハトの羽のような白に変わっていた。


「おじいさま、私はロード=ブラックソーンにとどめをさしませんでした、だからおじいさまはあの方を捕まえられたんです!」 レディ=ガブリエルは険しい視線をニスタルの上に投げかけた。薄ぐらい彼の書斎では、老魔道師が無秩序に積み上げられた書籍を熱心に調べていた。ガブリエルは、金の髪留めを机に上に滑らせながら屈みこんだ。「あの方を自由にして」

ニスタルは彼女に目を向けたが、心臓が一拍するより早く本に戻った。「不可能だ。ロード=ブリティッシュはお許しになるまい」

「説得してください。ブラックソーンさまの行動が軽率だったのは分かります、でもあの方は犯罪を犯したわけじゃありません! あの方はおじいさまがしておられることに強い問題意識を持っています。意見を聞くべきです。お願いですから、ロード=ブリティッシュにあの方を自由にするように頼んでください」

「血族関係に期待をかけすぎだな。わしはブラックソーンを擁護するつもりはない、それがお前の利益になろうとだ」

「もし私がいなかったら、ブラックソーンさまはおじいさまの計画をすでに阻止できていたでしょうね。ですから多少の権利を認めていただいてもおかしくないと思います。必要とあらば、ロード=ブリティッシュご自身に私個人の問題として主張しますとも!」

「それはわしが許さぬ。ロード=ブリティッシュはたいそうお忙しい」

「いいえ、おじいさまには私をお止めできません!」

「できるさ、やってみせよう!」 彼は埃まみれの大冊を派手に閉じた。「わしを頑固者めと思っておるな? そう思えばいい! わしはこんな茶番にもう一秒たりとも我慢できぬ!」 ニスタルはふさふさした眉毛の下からガブリエルを睨みつけた。「もしまだやるつもりなら、わしはゲームを楽しむ気分でないことを警告しておく。孫ではなく、敵として扱うだろうと!」

若い女魔術師はしなやかに後退した。「お怒りですのね、それであの方に倒されましたのに」

「ああそうだとも」 彼は本に戻った。「さあ、出ていけ! おまえの罪悪感を静めたければ他の方法を探すんだな」

ガブリエルの瞳が激情に燃え上がった。彼女は研究室から出て、激しく扉を閉めた。その衝撃はニスタルの本を数冊、床に払い落としたほどだった。老魔道師が唸り声とともに机を叩くと、床に落ちた本は飛びあがって、もとあった場所にきちんと収まった。ニスタルはそっけなく頷くと、研究を再開した。


灰色の嵐の下、荒廃した大地があらゆる方角に広がっていた。ここは、かつて森だった。今や樹木には一枚の葉もなく、まるで黒ずんだ鹿角のようだった。大地は乾燥し、ひび割れていた。骨やでこぼこの岩が茨で厚く覆われた道に散乱していた。狂風が荒地の上を闊歩していた。

ブリティッシュとブラックソーンが道の上に立っていた。二人の剣は鞘に納められていた。盾と鎧は、見事に磨き上げられていたけれども、物憂げな太陽光の元ではくすんで見えた。

二人とも、貴族の装飾を身につけてはいなかった。いまだその称号を得ていなかったからだ。まだ若かった。ブラックソーンの高貴な父親はまだ殺されていなかった。ブリティッシュはその運命をほとんど知っていなかった。まだ皺のない顔は、歴史にその名前を刻むことになる、飾らない勇気に輝いていた。

「フェルッカだ」と、ブラックソーンが埃っぽい微風に目を細めて言った。黒くて長い巻き毛が風にそよいでいた。

ブリティッシュは眉をひそめた。「名前は知っているが、どうやってか思い出せない。ここはソーサリアだ、月ではない」

「これが我々の未来だ。魔術師ミナックスが世界を荒らしまわることだろう」

「では、我々で彼女を止めるんだ!」

「いや。だが、君はソーサリアの人々を救うだろう」 ブラックソーンは輝く白い石を取り出した。「彼らをここに連れてくるんだ」 石が茨の中に投げ込まれた。数秒あって、大地から輝くものが立ちあがった。ムーンゲートが、この不毛の世界では異物として映る暖かい光で手招いた。

ムーンゲートを抜けると、ブリタニアの壮麗さが二人を迎えた。森から慣れ親しんだ音と香りが流れ込んできた。

「トランメルか」 ブリティッシュは微笑んだ。「君の幻覚が馴染み深く見えるよ、ブラックソーン。なぜだ?」

「未来は幻覚じゃない。さあ、もう一度ご覧あれ」

森は消え去った。その場所は石で固められた砂漠になり、煙る瘴気が打ち寄せていた。辺りには奇妙な花崗岩の建物が散らばり、金属で覆われ、鉄管や蒸気を噴き出す高い煙突が突き出ていた。強烈な臭気が鼻に飛び込んできた。

ブリティッシュは咳き込み、籠手で口と喉を覆った。「これは、なんて酷い有様だ?!」

「我々はやはりソーサリアにいる。また別の邪悪が荒らしているんだ」

「では、再び逃げよう!」

ブラックソーンは、真珠のように白い石を一杯に握った手を開いた。それらに呪文を唱えると、1ダースものムーンゲートが地面から生えてきた。その奥には、どれも同じように汚された世界を見てとることができた。「逃げ場はない」とブラックソーン。

「必要ならば、その邪悪と戦う」 ブリティッシュはブラックソーンの方を拳で叩いた。「我々二人の前に立ちはだかっている敵の名前を指してくれ」

「私は戦うつもりだ。君は戦うか?」

金髪の青年は大声で笑い、この奇妙な舞台を動きまわった。「私か? それはいったいどういう類の問いかけかい?」

ブラックソーンは黒曜石のように暗い瞳で見つめ返した。彷徨える風に舞う厚くて苦い煙の雲が、二人の戦士を叩いた。


炎の明かりが心地よい毛布のように、ロード=ブリティッシュの上に落ちかかった。ブリティッシュはチェスボードに駒を並べていたが、目を擦るために駒から手を離した。

「よく眠れなかったのか?」 暖炉の傍らの影から声がした。

ブリティッシュは言った。「気を張り詰めているからだろう」

ブラックソーンはしわがれ声で話した。「夢は君を裏切るかもしれない、そうだろう?」

ブリティッシュは頷こうとしたが、思いなおして影の中を凝視した。「ときにはね。そこでモンバットのようにこそこそ隠れているつもりかい? そうじゃなければ、不満をチェスボードの上にぶつけてくれ。次は勝たせると約束するよ」

「いつも君がそうするようにね。私は君の寛大さに飽きてきたのかもしれないな」

ブリティッシュは定位置におかれたクイーンを捻りまわした。「そうだな、ここへ訪問客を呼ぶように取り計らってもいい。もしお望みなら」

「訪問客なんて必要ないよ」

「レディ=ガブリエルも?」

ブラックソーンは鼻を鳴らした。「最高の侮辱だな」

「君を非難する言葉を吐くことはできない」とブリティッシュは言った。「だが、彼女がとった行動についても非難することはできない」

「彼女は責任に耐えることがまったくできないんだ。そして、私を裏切ることがどういう結果を招くか、理解できなかった」

ブラックソーンは立ち上がって影の外に踏み出した。彼がチェスボードの前に椅子を整えたとき、ロード=ブリティッシュは口を開けたまま呆然と見とれた。

「徳にかけて! いったい君に何が起きたんだ?」

ブラックソーンの肉体はほとんど真っ白になっていた。くたびれ、衰弱しきったようすで、体重も大幅に失ったようだった。黒い瞳も普段より深く沈みこんでおり、血管が浮きだし、たるんでいた。

「監禁生活が私には合わないようだ、たぶんね。そんなにぎょっとした顔で見ないでくれ。ニスタルだって『古写本』を読んだ後、髪が真っ白になったぞ」

「だがそんなふうじゃなかった。いったい、自分に何をしかけたんだ?」

ブラックソーンは微笑んだ。「さあゲームを、ブリティッシュ」

ロード=ブリティッシュは友人を指差し、頭を振った。「そうか、これも私の気を変えるための策略というわけか? 私の目の前で萎れてみせて? どんな毒薬を持ちこんだのか知らないが、私の忍耐力を験すのはよせ、ブラックソーン。私の忍耐力は君よりも強い。このゲームが終わったら施療士たちを手配しよう。子供じみた行動で私を説得することはできないよ」

「必要ないさ」と、ブラックソーン。「君の道義心が私の利益のために行動し始めるだろうから」

「私の道義心と私はいい関係にあるんだよ。さあ、君の番だ」 二人がチェスボードの駒の上で思案していると、ブリティッシュが軽く笑い出した。「そうだ、この情勢が君にはぴったりだな。君は猪突猛進する死体を作り出すのだから」

ブラックソーンは何も言わず、ただポーンへと手を伸ばした。


その蜘蛛の巣は、小さすぎて見ることも適わない指で織られた繊細なレース細工だった。巨大なオークのベッドの天蓋の隅に張り巡らされていた。ロード=ブリティッシュが豪華なシーツの下をゆっくりと通過したとき、その動作が起こした風が、蜘蛛の巣と、静かな埃サイズの生き物を揺らした。

一週間以上の時間がたっていた。ブリティッシュはランプを消すために手を伸ばしたが、あいにくベッドスタンドは予想と違う場所にあった。元々の寝室をブラックソーンに譲り渡してしまったため、この新しい寝室には慣れていなかった。

それが、疑いなく、彼の眠れぬ夜々を説明するものだった。

ブリティッシュがうとうとし始めた頃、小さな蜘蛛はその巣の端に少しずつ進んでいった。その微かな吐息は人間に感じられるものではなかったが、天蓋から空気の流れが落ちてきて、ブリティッシュのまぶたに止まった。そして、眠れぬ夜が始まった。


冷たい黄昏の微風がガブリエルの豊かな巻毛を躍らせた。沈痛な表情を、消えゆく太陽の光が半分だけ照らし出している。その両腕は、高い胸壁の粗い表面にかけられていた。波打つ白いマントが彼女を優しく引っ張っていた。

周囲は、険しい山頂の狭間に隠された暗闇に包まれた谷だった。彼女は乱暴に刻まれた塔の頂上に立っていた。魔法の居ず海のような赤熱する焚き火の海が、要塞の基礎を覆っていた。風は遠い大工と鍛冶の音を囁いた。

「防護はほぼ完全に済んだと聞いております」 漆黒の影が彼女の一歩後ろに立っていた。エグゼドゥアの顔は憂鬱さが凝結したものであるかのように見えた。影がしぶしぶながら彼を暴き出しているかのように。「別の分隊が明日の夜到着するでしょう。人間ではありません」 彼は彼女の表情を眺めた。「レディ、仕事はうまく完了しそうですね」

彼女の瞳は冷たい風に細められた。彼に一瞬以下視線を送った。「それは私の仕事じゃありません。私は…ただのメッセンジャーなんです」

「お好きなように」と、預言者が呟いた。「ですが、過ぎたことを後悔なさいませんよう。その動機は私よりも崇高なものなのですから」

「いずれにせよ、無意味です。あなたには軍隊がある、でも戦場がない」

エグゼドゥアはため息をついた。「まだ私は呪文が唱えられる場所を予見していないのです。それを私たちのために知ることができるのはただ一人」

ガブリエルは指を絡ませ、暖かい風をその中に吹き込ませた。「そのとおり。待つ必要はありません。出発の準備を」

預言者は臀部の剣に手を触れた。「準備できてますよ、レディ」


岩礁が波に穴をあけていた。まるで海岸が大洋に噛りついているような島だった。真夜中の海は怒り狂っていた。若々しいブリティッシュが、岩の二つの突起の上に立って、大地を見据えていた。飛沫が周囲で白いマントのように渦巻いていた。剣は抜き放たれていた。盾には彼の象徴であるサーペントが描かれていた。

二人の戦士が彼の前にいた。二人とも長い刃のついた矛を構え、灰色と紅色の金属で作られた鎧を着こんでいた。尖った岩の上を、サンダルをはいた足で難なく踏んでいた。戦の叫びを唱和すると、不可能なほどの高さまで宙を飛び、眩暈を起こしそうなほど矛を旋回させた。電光石火の攻撃がブリティッシュの上に落ちかかった。

ブリティッシュは片方の攻撃を盾で払い、もう一方からは身をかわして、振り下ろされた刃を剣で岩に打ちこんだ。だが両敵とも素早く高々と蹴りつけると、ブリティッシュを座席から叩き落した。ブリティッシュは背中から落ちて、半身を浅い塩水の中に沈めた。戦士たちは鋸刃のような岩の上に跳ねると、その武器を鋭く突き出した。

二本の矛は目を眩ませるような火花に包まれて逸れた。ブリティッシュが急いで発動した防護印のためだ。驚いた戦士たちはバランスを失った。そのとき、ブリティッシュは十数ヤードを転移する呪文を暗唱した。だが、彼が足場を再確保したときには、戦士たちがふたたび近づいてきていた。

彼の剣と盾が銀色に光った。若々しい顔に苦い表情が浮かんだ。

剣を指し広げて、片方の戦士の腹部に稲妻を投げつけた。即座に盾の隅に身を動かし、肩めがけて突き出されたもう片方の刃を防ぐ。そして、体を回転させてその刃を脇に払いのける。回転の勢いを使い、矛の柄を剣で切り払った。次の攻撃は首をとるはずだったが、その戦士は岩と岩の間、泡立つ波打ち際に跪くようにして身をかわした。

ブリティッシュは具現化系魔法を吐き出すと、海岸を横切って炎の波が切り立った。炎の波が霧消したとき、荒れ狂う水は沸騰していた。

二人の戦士は断層に向かってそれぞれ跳ねた。突然の炎熱に蒸気をあげる兜を狂ったように引き剥がす。ブリティッシュはその人間のものではない顔を見つめた。翼のないガーゴイルか? いや、無道なガーゴイルが邪悪な錬金術を通じて変化したものだろう。だが、誰の錬金術で?

「よせ」と、岸から命令する深い声がした。ブリティッシュはそちらを見ながら、盾を構えた。荒れた地面には12の男が、黒と灰色のローブに身を包んで立っていた。彼らは明らかに人間だった。その顔は奇妙な入墨で覆われていた。よく見ると、そこには12のシンボルがあった。数学的な公式だった。

「誰がこの生物を操っているんだ?」と、人にあらざる戦士を剣で指しながら叫んだ。「何の理由があって私を襲う?」

答える声は一つではなかった。ローブの男たちは低い、ざらついた声音で斉唱し始めた。彼らが背負う陰気さから一人の大きな人影が物質化した。ブリティッシュは驚きに喉を詰まらせると、その姿を理解しようと努力した。それは、人間の粗悪な模倣だった。銅と鉄と革と肉の万華鏡的怪物カレイドスコーピック・ホラー。機械装置に貪り食われた一人の男だった。

ブラックソーンの声で、怪物は答えた。「あらゆる理由でもっとも非道な理由さ、ブリティッシュ。復讐だ」

「ブラックソーン?」

無機的な爪を曲げた。「私は君の友人だ、しかし君は私にこの破滅の運命を背負わせる。償いを求む」

「私は償わない」 ブリティッシュは盾を捨て、足もとの水に飛沫を上げた。そして、両手を掲げた。「だが、治してみせる」

呪文が爪の先から明るい火花の湧き上げながら飛んだ。ローブの男たちが動きを起こそうとしている間に、その輝くエネルギーは怪奇な姿のブラックソーンを走りぬけた。ドラブ色のローブから長い鉄瓶のような形をした装置を取り出した。その瓶には底がなく、代わりに大きな穴が開いていた。ブリティッシュに鉄瓶が向けられると、無機的な単音が内部で響き、12の炎が一斉に咆えかかった。ブリティッシュは周囲を抜けていく炎にたじろいだが、数秒たって炎がやんだとき、若い戦士は煙と蒸気に包まれ、怪我一つなく立っていた。

「やめさせろ!」 大仰な身振りで呪文を振るいだしながら叫んだ。「奴らに私を止めることはできない!」

二体の人にあらざる戦士は波に洗われている岩によじ登った。彼らは矛をすでに捨てており、代わりにかなり特異な武器を構えていた。どちらも、袖のような籠手をひとつずつ身につけていた。手首の下には巨大な鉄の顎があり、牙が並んでいた。ブリティッシュはなんとか剣を鞘から抜いて無機質な顎による一撃をかわしたが、第二撃は脇腹を守る鎧を捕らえた。その武器が鎧に噛み付くと、金属が苦痛を訴えた。顎の力に身をよじらせたが、それでもブラックソーンへの呪文を維持しようと努力した。だが、水をはさんだところから大きく軋るものが襲いかかり、剣を捕らえられて二つに折った。さらに蹴りが入り、ブリティッシュはうめきながら海水に膝から崩れ落ちた。

ブラックソーンへの詠唱を続けつつ自分の身を守るのは無理だと悟った。そして、彼はより重要な方を選択した。

戦士の一人がブリティッシュの喉を踏みつけ、首を海水の下に押しこんだ。冷たい海が口から喉に浸入したが、まだ発動されていない呪文への集中を失うことはなかった。ブリティッシュの目には舞いあがる砂ときらめく水面しか見えなかったが、彼らを通じてブラックソーンを感じることができた。

喉を押さえていた足が消えた。その代わりに、強力な鉄の顎が海底の細かい砂に彼を押さえつけた。最後の一息を口から蒸かせると、ブリティッシュは魔法の力がブラックソーンを変えていくのを感じた。そのとき、耳の中に何かが折れる大きな音が響いた。


「君は私の夢の中に入りこんでいるな」 チェスボードの足を広げながら、ロード=ブリティッシュがブラックソーンに告げた。「それに、呪文を唱えるために肉体からマナを搾り取っているのも分かったよ。呪縛の魔方陣を潜り抜けるにしても容赦ない手段だ! 私は君の決心を過小評価していたよ」

「よくあることだ」 ブラックソーンは薄いバスローブにくるまれていた。彼の、かつては青白かった肉体は、不健康な黄色に変化していた。その肉は、棹に結ばれた古い旗のように、骨の上にしがみついていた。「そのとおり。施療士たちを付きまとわせるのをやめて、どうすれば私を癒せるのか理解して欲しいね」

「すまんが、施療士たちはまだやってくるよ。君に自殺されるわけにはいかない」 ブリティッシュはチェスの駒を揃え始めた。「だが、そろそろ終わりにしたほうがいいな。君が勝ったのだから」

ブラックソーンは椅子に座りなおして言った。「『不滅の宝石』修復をしないつもりなんだな?」

「いや、束縛の呪文はやはり唱えるつもりだよ。だが、君は未来を恐れなくていい。私とニスタルは君を守る方法を考え出した」

「どうやって?」

「我々は呪縛の魔方陣で塔を囲んだ。何が起きようとも、ここにいるかぎり君は安全だ。君が、夢の中で見せてもらったような怪物の姿に変身することはない」

「えらく確信しているようだが?」

「確信している」 白のキングを並べ置いた。「ブラックソーン、私の仕事を信頼してくれよ。私がトランメルへのゲートを開いたときも、何も起きなかっただろう? しかも、あのときは『古写本』の恩恵はなかった」

「あの忌々しい本か! どこかにニスタルがあれを発見していない破片シェアードがあることを祈るよ。その世界は君たちの大変革から免れるだろうからな」 ブラックソーンは椅子の肘あてを叩いた。「くそッ、ブリティッシュ、君は見なかったのか? それは私と君だけの問題じゃない。そうだったことも決してない。世界の問題だぞ! 破片が再統合したときに死ぬ人々の問題だぞ!」

「よく考えて言葉を選べ。そうとも、破片が再統合すれば、ソーサリアは異邦人がジェムを破壊したときの姿に戻る。そうとも、あれ以降に生まれた世代は存在を止めるだろう。だが、彼らの魂や天命は残りつづける。彼らは再び生まれでるだろう、すばらしい世界に。それに、このことを考えてくれ。一部の人間――たとえば私やニスタル、魔方陣に守られている君――はすべてのことを思い出すことができるだろう。我々は『古写本』のことも、ミナックスの脅威のことも忘れない。これは我々が何年も何年も耐え忍んできた悪を正す機会なんだ」

ブラックソーンは眉の皺をさらに深くした。「私は馬鹿だったよ」 骨ばった指で額を揉んだ。「双子の月にかけて、それは単純なことだ。我々はみな君の罪深い道義心の犠牲者なんだ! 『不滅の宝石』を砕いたことに罪の意識を抱えていて、すべてを正すまで人も神も君に微笑んでくれないというのだろう」

「そう表現したいのなら、答えはイエスだ。それがこの問題の真実だよ」

「異邦人がモンデインを倒すには、ジェムを砕くしかなかった。君もそれを分かっている。だが、君の自意識は非難する心をモンデインの墓に眠らせることができなかった。君は自らその徳を捨てたんだ! 謙虚さハミリティはどこにある? 自分自身を偽る。誠実さオネスティはどこにある? 虚しい道義心を満足させるために何百万の人々を死なせる。哀れみコンパッションはどこにある?」

「黙れ!」 ロード=ブリティッシュは友の言葉を払うように手を振った。その乱暴な動作にチェステーブルが傾いた。黒と象牙の駒が堅木の床に散らばった。「私が背負う重荷を馬鹿にしようというのか! 激しく嫌悪しようとも、そうしなければならないんだ。私はこの問題を、君には不可能なほど深く抱えこんでいる。君に夢で見せられずとも、忘れ去ることはできない。だがね、ブラックソーン。私はいま正義ジャスティスのために動いている。ソーサリアはもう二度と私の過ちに悩まされることはないだろう。私はふたたび世界を一つにしなければならない」

「君との戦いを止めるつもりはない」

「どうか、友よ。勝負ゲームはもう勘弁してもらいたい」

ブラックソーンは腫れた目で睨みつけた。「君のゲームボードだ。友よ」

「じゃあ仕舞うよ」 ブリティッシュは見をかがめて駒を集め始めた。「この街を出る前にもう一勝負できたらよかったんだが。幼稚だったんだな」

「出ていく、だって?」

「夜明け前に。ニスタルがストーンゲートの砦を召喚したんだ。そこで呪縛を実行するつもりだ」

「ストーンゲート? 神話の話にすぎない。奴はどこで見つけたんだ?」

ブリティッシュは首を振った。「君には関係ない」

「今度は過大評価だ。もしこの寝室に閉じ込められたまま君たちを止めることができるのなら、私はあんな夢を使って君を悩ましたりしない」

「君が無力なのは分かっている」チェスボックスの留金を閉じながらブリティッシュは言った。「だが、未確認の軍隊がユーに集結しているという噂があってね。もちろん、それも君の預かり知らぬことだろうが」

ブラックソーンはブリティッシュが扉に向かって歩くのをじっと見つめていた。空気は霞んだ火の光で濁っているように見えた。「君は私の知るかぎりもっとも勇敢な人物だ」と、柔らかく大人しい声で言った。

ブリティッシュは扉に手をかけたところで動きを止めた。「君はここにいろ、ブラックソーン。ここなら安全だ。『古写本』がそう保証してくれている」

「君を友と呼ぶことを、いつだって誇りにしているよ」

「ここにいろ!」 ブリティッシュは言葉を続けようとしたが、それを抑えた。その代わりに、最後の視線を友人に投げながら呟いた。「すべてが終わったときに、また会えるだろう」


扉が音を立てて閉じると、ブラックソーンは強く目を閉じた。微かに血の混じった涙が、鼻の脇をうねりながら落ちていった。やせ衰えて震える指を立てると、小さな蜘蛛がその上にとまった。

「私は馬鹿だ」 彼は共犯者を撫でた。「ブリティッシュは正しかった。私よりも我慢強いんだ。この方法でブリティッシュに勝つことはできまい。だが、別な方法がある」 ブラックソーンの瞳が開かれた。なだらかで、特色のない巨大な黒真珠のようだった。「小さな兵士、今は私の一生でもっとも暗い時代だ」 唾を呑み込む。「祈ってくれ、私が生き延びないように、と」

呪文は苦しいものだった。ブラックソーンのやつれた肉体はオークの床の上でのた打ち回った。その間ずっと、まるで茹でられているかのように、全身が痛みに鳥肌を立てた。

骨が喚きたてる絶叫が感じられた。その感覚は、啜り泣きというには少し大きすぎるようだった。


すべてが済むと、蜘蛛はブラックソーンの動かない手から這いだした。その独特な単位基準からするとその旅はとても長いものだったが、扉の下をくぐり、床板の割れ目を通り抜け、どこまでも続くブリタニア城の垂木に沿い、目的の部屋にたどりつくまで歩きつづけた。

蜘蛛は、天井からロード=ブリティッシュを見下ろした。長身を机の前に座らせ、ランプの明かりでスクロールを読んでいた。時折、声を潜めて悪態をつきながら、金髪に指を泳がせた。周囲には小箱が山と積まれていた。使用人が部屋を出入りし、ブリティッシュの旅のために用意された複数の箱を整理していった。

蜘蛛は沈黙を保った。夜が更けていくにつれ、その体は闇に染まっていった。窓が青白い曙光をはじめてもたらしたとき、蜘蛛の色は黒玉のようだった。

ようやく動きだした蜘蛛は、糸を紡ぎながらロード=ブリティッシュへと降下した。そして、机の上に降り立った。小さな蜘蛛の脚が触れた部分の木材は、真っ黒になり、水気を失った。

蜘蛛は、針のような牙を振りかざしてブリティッシュへと這った。

何かが邪魔に入った。人間のサイズには到底及ばないものだったが、それでも、インクの染み込んだその足で小さな蜘蛛を掬い上げるには十分な大きさがあった。齧歯類の牙に黒い体をかじられると、蜘蛛の足は力なく広げられた。


ニスタルが部屋に入ってきた。「太陽が昇り始めました」

「知っている。すまない」 身なりの崩れたロード=ブリティッシュが、目の前のスクロールを巻き上げた。「これで終わりだ。使者たちに渡して急ぐように伝えてくれ。シャミノから何か言ってきたか?」 何も答えないニスタルに視線を投げた。「ニスタル?」

老人は机の表面を凝視していた。片側、消えつつある影の中に、色を失って真っ黒になっている部分があった。ネズミのような形をしていた。まるで、齧歯類がその場所で塵と砕けたように。

「我々も急いだ方がよさそうですな、陛下」 魔道師は、部屋を険しく見まわしながら言った。


「閣下? 私の声が聞こえますか?」

目を開くだけで激痛が走った。ブラックソーンは自分のかさかさになった肌からパリパリという音を耳にした。

「閣下、急がなければなりません」

若々しい顔がブラックソーンの曇った視界に広がった。ブラックソーンは苦労して笑顔を作り、血を舐めとった。

「エグゼドゥア」 損なわれた声音が弱々しく響いた。「来たのか……助けに……いや、殺しに?」

「さあこれを」 暗殺者は琥珀色の液体で満たされた細長いガラス瓶を差し出した。

「いや。ポーションは……効くまい」 自分の体を知覚しようとしたが、どこか遠い場所に鋭い痛みを感じただけだった。「私は……ひどいか?」

「恐ろしいほどですよ」と、エグゼドゥアが優しい声で囁いた。「動かないで。私がここからお連れします」

ブラックソーンは、自分が軽々と持ち上げられるのを感じた。一瞬、自分を治療しようとしていた施療士にそっくりな老人が床に倒れているのを見たような気がした。だが、エグゼドゥアはこの場所にとどまらなかったため、ブラックソーンは顔を動かす気力を得ることができなかった。ブラックソーンは、精神力を奮い起こして、囁いた。「ブリティッシュは……生きているのか?」

「ええ、生きています。我々は、卿をお連れするのに、彼とニスタルが出発するのを待たなければなりませんでした」

ブラックソーンは自らの最終的な失敗を激しく後悔しようとしたが、そのための力は残っていなかった。


爽快な力の高揚が彼の肉体を震撼させた。ブラックソーンは再び手足を感じようとしたが、激痛はやはり絶望的なほどだった。「塔を…出るのか?」

「そうです、閣下。私を塔に入れるため、レディ=ガブリエルが魔方陣を破壊してくれました。ふむ、卿を降ろさなければなりませんね」

「なぜ?」

「騎士が一人、我々に襲いかかろうとしているからです」

ブラックソーンは剣が鞘から抜かれた音を聞いた。瞳を開くと、ブリタニア城の廊下口のひとつにいることが分かった。黒い服に身を包みフードで顔を覆ったエグゼドゥアが、手近な曲がり角に忍び寄った。

ブラックソーンは起き上がろうと、片手を伸ばした。見ると、その腕は骨と皮ばかりの有様だった。皮膚は燃え尽きた樹木のようだった。

廊下口で金属音が鳴り響いた。ブラックソーンは喉を掴み、膝に崩れ落ちながら騎士の方に向き直った。大理石の床が血の滝を浴びていた。その男の敗北はほぼ決まっていたが、エグゼドゥアは引き下がらずに斬りこんだ。ブラックソーンは速やかに理由を把握した。騎士は剣を抜いた。目にもとまらぬ速さだった。ただ、エグゼドゥアの反射神経だけが、その剣先が暗殺者の腹部に突きたてられるのを防いだ。それでも、騎士はまだ倒れず、唸り声を上げながら剣を頭上で旋回させた。

ブラックソーンはサー=デュプレの声を認識した。「エグセドゥア……さがれ!」 言葉の裏では、声量を強めるために奮闘していた。「そいつは良すぎるんだ!」

だが暗殺者は引くことができなかった。エグゼドゥアは正確に攻撃を受け流したが、天稟の予知能力をもってしても、ブリタニア一の猛戦士を捌ききる俊敏さと技術を得ることはできなかった。第二撃で足元をふらつかせ、わき腹をデュプレの剣に貫かれた。

騎士は暗殺者を床に突き倒したが、弱った膝は安定を欠いていた。いまだ喉の傷から血を滴らせている。そのため、ブラックソーンは呪文を詠唱する時間を稼ぐことができた。白い閃光が廊下口に炸裂した。その残像が消えたとき、床に倒れ伏したサー=デュプレはもう身動きしていなかった。

エグゼドゥアが呻きながら立ちあがった。顔をしかめながら、琥珀のポーションを飲み干し、そのおかげで傷の痛みも和らいだようだった。「こっちへ」 ブラックソーンを背負い、早足で廊下口を下りていった。「レディ=ガブリエルが召集場所へ転移するためのルーンを残していってくれました」

「ここで…喋るな」

「誰も聞いてやしません」

 二人はカーテンの裏に潜りこんだ。小さなポーチはガードの目を逃れて待っていた。エグゼドゥアはブラックソーンを壁にもたれさせ、ポーチから彫刻の入った石を取り出して、魔術師に手渡した。「明らかに、卿はこれを使いこなせるはずです」

ブラックソーンは不気味に変貌した自分の手を見つめた。「世辞は…よせ」

「さっきも秘薬なしで呪文を唱えたでしょう。私は魔術をあまり知りませんが、卿は見た目ほどお悪くないのではと思いますよ」

ブラックソーンは指を折り曲げた。その動きは彼の四肢に痛みの爪を撃ちこんできたが、辺りを流れるマナは蘇っていた。お馴染みの感覚が魔術師の心を弾ませた。それと同時に、ブリティッシュの言葉が脳裏に響いた――塔の中にいれば、ブラックソーンは恐怖に満ちた未来から身を守ることができる。外に出れば、どんな運命が待ち構えているのか、誰にも告げることはできまい。

そして、魔法の濫用で損なわれた自分の体が回復するのかどうかも、確信がなかった。

「人生最悪の…気分だ…エグゼドゥア」 不健康な手でルーンを包む。「だが…問題外だ。…やらねば…ならない」

その後は何の音も続かず、二人の姿はブリタニア城から消え去った。豪奢な長い廊下では、警戒の叫びが聞こえ始めていた。

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Translated by 枯葉
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